今日は久しぶりの毒吐き。
この数年、YouTubeやFacebookやリアルで、たくさんの発信者の人たちを見て思うこと。
どんなにいいこと言ってても、話がうまくてお金儲けがうまくても、客観視が出来てない人は、アウトだな❗️ってこと。
売れて有名になっても、お金持ちになっても。当たり前のことが当たり前にできるか。
時間を守れるか。
一番近くにいる人を変わらずに大切にできるか。
目の前の相手への思いやりを持てているか。
そんな当たり前のことを、やり続けることのできる人が、きっと「本物」として売れ続ける人なんだろうな。と思う。
長く通う人。
何回も通う人。
そんなお客さんがつくには、人として当たり前のことをちゃんと当たり前にやってくれる。という信頼感だと、しみじみ思うのよね。
そしてね。
きれいなことは誰だっていくらだって口先で言えるの。愛だの調和だの、波動だの。
でもさ。
本当に光に向かうときの、一番のポイントは、絶対的にやっぱり「闇」なんだよ。
闇を通り抜けて、光に向かう。
闇の深さを見つめられる?
感情に飲まれず。
被害者意識の罠にはまらず。
向き合える?
客観視できる??
そこを抜けた人しか。
そこで心底苦しんでもがいた人しか。
真の光にたどりつかない。
わたしはそう思う。
だって、闇の深さが光の強さだから。
だけど、スピリチュアルの世界で、なんとかセッションとかヒーリングをお気軽にやってる人たちの中で。
覚悟をもって、腹をくくって、闇も含めたその人の本質と向き合う気概のある人は、ほぼいない。限りなくゼロに近いほどに、少ない。
心が傷んだまんま、キラキラを求めても痛いだけに見える。
本気で向き合う覚悟のある人は、もうまったく違う。別次元。そして、人の心への尊敬と敬意と畏怖がある。軽々しく触ってはいけないものだと、よく知っている。
闇がキー🔑なのに、闇にふたをしてキラキラしてる人たちは、これから本当に大変だろうな。
自分と向き合うのがいちばんキツくて、でもそこにしか答えはない。
闇を抜けた先の光が見たくて。
今まで向き合って来たんだよなぁ。と思う
わたしたちはみんな、光の子どもなんだから、最後には光に還る。
でも、きっと、闇を一回通り抜けることに、今世地球にわざわざ生まれて来た意味がある。
その、絶望と安心感を抱えて生きる。
闇を排除しない。
自分をどこまでも客観視していく。
まるで修行のように。
なんか文章の書き方を、少しずつ思い出して来たみたいだ✨