去年、友達でも家族でもないある親子のことで、祈った。
届かなくてもいい。
必要なら受け取って。
不要なら遠ざけて。
と思って、祈った。
職場で、あまりに苦しい状況を、不調和の連鎖を見ていて、胸が痛くなって、祈ってみた。
それが、もしかしたら時間差で届いたかも!
という出来事が今日あった。
うれしかった。
状況がすこし和らいだ。
すこし、いいほうへ動いた。
誰のせいでもないけど、どうしてもうまくいかないことってある。
自分が大人になれば済むことだったとしても、それをやったら感情が死ぬな。っことはある。
そのときは、どうしようもなくて頭を抱える。
感情的になって、全てが無駄だったと思える。嫌になる。自暴自棄になる。
それでも、時間が経って、状況は動いていく。
気持ちをそらして、そこに、とどまらないこと。
決めつけないこと。
対立しないこと。
苦しい想いを、相手に向けて対立しそうになったとき。
その苦しさを、相手でなく、空に向ける。
上に放っていく。
水平でなく、垂直に放つ。
どうか、この状況が癒されますように。
わたしと、相手に、その背景にある全てのものが癒されるよう、愛と光で包んでください。
そういう祈り方を、試してみた。
祈りは時空を超えることを、わたしは知っている。
効いたとか、効かないとか。
意味があったとか、ないとかどうでもよくて。
今日届いたかも。と思えたことがうれしかった。
ただ、それだけ。
今年、この祈り方をいろいろ工夫しながらやってみようと思った。