今年はこのテーマに、ひたすら向き合わされた。
向き合った、というより、向き合わされた!が近い。
優しく穏やかな気持ちで過ごしたかったのに、切りつけられるような、鋭く痛い真実を突きつけられた。
向き合わずにいられたら、ぼんやりと、平和に、生きていられたのにな。と悲しい気持ちで思う日々が続いた。
話す言葉は、キラキラで。
素晴らしいことを言っている。
愛とか、光とか、感謝とか、自己受容とか、本質を生きる。とか。
ずっと、憧れてきて、尊敬して、大好きだった人の、その言葉が一瞬にして力を失う瞬間を見た。
壊れたものは、もう2度と戻らない。
その人の語る言葉が、わたしの中で力を持つことはもうない。
そのあり方を見てしまったから。
言葉と真逆の行動。
自分が今まで語ってきた言葉を全て無にするような、行動。
結局、放つエネルギーなんだ。
と、思う。
心惹かれる言葉を語ってくれる人たち。
ここ数年、密に関わってきた数人の人たちに共通していたのは。
言ってる言葉は、すごく魅力的だけど、やってることと放ってるエネルギーは実際どうなん??
という出来事を繰り返し間近で見させられたこと。
全身の毛穴から出るエネルギーを読め!とある人に言われたんだけど、結局そういうことだよね。
言葉じゃなくて、想いのバイブレーション。
クリアな意識で何を想うのか。
それが量子の世界。
わたしたちが宇宙に向かって放つ意識が、粒となり波となり、現実になってかえってくる。
もっと奥の世界を見よ。
もっと研ぎ澄ませてシンプルに行動せよ。
その人が、何を言ってるかではなく
何をやっているか。
その一点。
自分も含めて。
いちいちアピールしなくても、その空気で、佇まいで、愛を放って人を泣かせる人がいる。
その人の存在そのものがもつ、説得力がある。
何を思って、それをしているのか。
そこがクリアになっている人に、神様は味方する。その思いが、小我なのか大我なのか。
高次の世界と、共振共鳴する、振動域。
生きてる間に、そこに近づきたい。