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太っ腹だなあ。
こんなおばあちゃんが近くにいる人は幸せですね。
わたしはお年寄りに縁のない人生を送ってきたので、まったく「親しみ」のような感情が湧かない。自分の全部を受け止めてもらえて、愛してもらえたような経験って親以外であまりないし、親ですらそんなにないな。
みんなに、こういう年長者が一人でもいたら、人はゆがまずに育つことができるのにね。
p66
お客さんの「色」が見える。
「てしま食堂」も、わたしがいなくなったあとのことは心配です。
子供たち、孫たちは、みんな毎日がんばってくれているけれど、まだまだぜんぜん足りません。
今ごろの人たちはみんな、自分のことで忙しいでしょう。
ちょっと時間があると携帯電話とにらめっこして、おしゃべりを始めちゃう。
わたしはいつもこの席に座っています。ここに座っていると、お店全体が見渡せます。入り口から入ってくる人を最初に見ることができるのもこの席です。わたしはおばあちゃんだけど、今もこの店で一番お客さんのことを見ているの。
わたしには、お客さんの「色」が見えます。
ハッピーな人、さびしい気分の人、悲しい人、イライラしている人、急いでいる人、ひとりでいるのが好きな人。
そういうのがわかるんです。
人の色が見えるの。
ハッピーな色の人なら元気に笑顔で挨拶して、さびしい色の人にはこちらから近づいていって話しかけて。急いでいる人なら、なるべく早く注文を聞いてあげて、すぐお料理を出してあげるのが肝心。
お客さんには、それぞれの色がある。あの入り口から入ってきたときに、そういう「色」が見えるんです。
p68
感じること。
いつも座っているこの椅子とテーブルが好き、この場所が好きなの。
ここからは店のすべてが見える。すぐうしろにキャッシャーがあって、お客さんが入ってくるドアもよく見える。
ここに座っていると、お店の感じがよくわかる。色、空気、雰囲気、風、匂い、いろんなことがすぐわかる。お店の声が聞こえる。
お客さんの色が見えるように、わたしにはいろんなことが感じられます。
I feel it.
わたしには感じることができる。
今ごろの人たちはすぐに言い合いになるでしょ。わたしの子供たちもそう。
すぐケンカする。
何も言わなくても感じられれば、言い合いにならないのに。
近ごろはみんな、感じられなくなってしまっている。
もっと感じ合えばいいのに。
p78
わたしたちはみんな、理由があって生かされています。
・・・中略・・・
お金は、仕事をたくさんすれば貯めることができるでしょう。でも心を買うこと誰にもできません。
人間として大切なのは、思いやり、寛容さ、生き物にやさしくすること、謙虚であること、そして、人に尽くすこと。
わたしは自分の子供たちに「謙虚であれ」と教えてきました。決してウソをつかず、勤勉で、勤労であれと、子供たちにはそういう心を伝えてきたつもりです。
息子や娘、孫たちに、お小遣いをたくさん渡したことはありませんし、これからもないでしょう。
わたしが死んだら、わたしのお金は彼らのものになります。でもそれは、わたしが死んでからのこと。それをどのように使うかは彼らが自分で決めることです。
人生の意味は、お金では決して買うことができません。
p114
自分が今、できることを一生懸命にやる。
それが、生きる、ということです。
お店で働いている人が、もし「もっと給料が欲しいから別のところへ行く」と言ったら、わたしは止めません。
わたしは、自分からは何も言いません。去る人は止めません。でも、自ら「やりたい」という人には、チャンスをあげたい。
今、キッチンの洗い場で働いてくれている色の黒い男の子は、ミクロネシアからの移民です。ほかでは働き口がなくて、うちへやって来ました。
やって来たばかりのころ、あのボーイ(色の黒い男の子)は、英語がほとんどできなかった。でも、ひとつ教えるとそれを一生懸命やり、もうひとつ教えるとそれをきちんと覚えました。
He is a very good boy!
とてもよく働くいい子です。汚れる仕事、、人が嫌がることをきちんやる。
移民の彼にとって、ここで働けるのは幸せなのです。ここでした働けないことをあのボーイは知っている。だから彼は、ただ一生懸命に自分ができることをやっている。
自分が今、できることを一生懸命にやること。
それが、生きる、ということです。