やわらかぁい色合いの花。
病院の前のバス停に咲いていた。
一目見て、優しすぎて目が離せなかった。
昨日、矢追日聖さんの文章をまたいろいろ読んでいた。この方の教えを学ぶことはわたしのライフワークなので、思い付いたときは何度でも読む。
その教えの中でも大好きな考えがある。
それが、見えない世界のことへのスタンスの話。
「信じず 疑わず」
というもの。
信じてるけど、信じきれなくて、
いつまでも疑ってしまう中途半端な自分を持て余し気味なわたしにはぴったり。
自分のなかから出てきた感覚を、否定する必要はない。
だけど、信じることもない。
疑って疑って疑って、そのさきに疑いきれないものが出てきたときには、信じればいい。
そんなふうに言ってもらえると、安心する。
疑っていい。
むしろ、それはまっとうな感覚。
でも自分の感覚だから、疑わずにそのまま置いておいて見つめたらいい。
答え合わせをしなくてもいい。
そんな感覚を大事にしたいと思った。
新得農場の宮嶋望さんも、ご著書の中で言っている。
神があるとかないとか。
そんなこと、人間が決めるのはおこがましい。
自分は神をある、として生きるか。だけ。
信じて、導かれて生きようとするか。
決めるのは、自分。
宮嶋さんは、日聖さんと同じように、もう疑っても疑っても疑い切れないところまで来てしまったから、信じて導かれて生きるしかない。とおっしゃる。
その姿勢が、清々しい。
日聖さんも、宮嶋さんも、誰よりも、自分がまず泥にまみれて地に足をつけた現実を生きていらっしゃるところを尊敬する。
わたしも、「ある」として生きたい。
信じて、導かれて生きる。
自分の思考に疲れてしまったから、もう空っぽになって生きたいよ。
体の声をきく。
心の声をきく。
内側に耳をすます。
神は、わたしたち一人一人の中にいる。
わたしたちを、今この瞬間生かし、育む力そのもの。
もう、誰かに力を預けない。