今日は、6年生が先生や親や、地域の人たちに感謝を伝える会にお招きいただき出席しました😊🌸
わたし、こういう会で絶対泣けないのが、実は地味な悩みなんだよね😅
ハンカチ用意したのに🤣
でも、感無量だった。
人って一年でこんなに変わるんだね。
6年生って役割と自覚が人をシャン✨とさせるんだね。あとは、素晴らしい担任の先生方。
しっかりとした挨拶と、楽しい劇と、合唱と、演奏と。一人一人の成長の写真のスライドショーとお母さんたちのメッセージ。
だいたいみんな、ここらへんで泣いてるんだけど、去年に引き続き涙出なかったわぁ💦
元担任だった先生のご挨拶も感動的だった。
その中で一際想いを込めてお話されていたのが、産休育休明けで数年ぶりに戻ってきた先生のお話だった。
その先生のことが、6年生は大好きだった。
そして、その先生も今日、みんなのことが大好きです。と泣きながら言っていた。
みんな、うれしかっただろうな。と思って聞いていた。でもわたしは、複雑な気持ちだった。
育休明けの先生が、すっぽり見ていないこの3年の彼ら。特に、去年の凄まじい荒れ方を、一番近くで見ていた。
担任の先生への暴言やバカにしきった反抗的な態度を、嫌というほど見てきた。
わたしはずっと、「子供だから許されると思うなよ!」と思いながらそれを見ていた。
彼らは、自分たちは子供だから全て許される、守られているのをわかっていて、先生を蔑み、いたぶっていた。
なにもできない立場なのに、そこにいることを命じられて、見たくない嫌な場面をたくさん見た。
その煮詰まった、どうしようもない空気の中で、ひたすらみんなの不平不満を聞いていた。
あの無力感とストレスはすごかった。
去年学級崩壊したクラスの担任の先生は今年は異動されて、案の定今日も来ていなかった。
誰も、5年のことは話題にしない。
なかったことみたいに。
人は変わるし、いいこともわるいことも両方あって人生だ。両方の経験が人を成長させるんだと思う。
でもわたしは、あれだけ間近で見た学級崩壊の様子を一生忘れないと思う。
他の先生たちだって、ずーっと見てたわけじゃない。その時間ちょっと見にくるだけだった。
あの子たちが、どれだけ人によって態度を変えるか。そのコロコロくるくる変わる様子は見事だった。
子供は大人次第だから、指導が悪い。という人もいるだろう。だけど、だからってあの態度をとっていいことにはならない。
じゃああなたは、どれだけひどい言葉を投げつけられても、人格を否定され続けても、どんなときも「大人だから」感情的にならず、愛を持って接することが毎日できるんですか?と聞きたい。
完璧な人間なんですか?と言いたい。
先生だって人間なんだから!
確かによくないところはあった。
そうじゃなきゃ、あそこまで荒れない。
でも、あの、人を嫌い、否定し、反抗する子供達のエネルギーは凄まじかった。
どんなベテランの先生も、病んでやめていく話を身近でよく聞く。それだけ、難しいのだ。
今年は力のある、素晴らしい担任の先生に恵まれて、みんなここまで更生した😅
去年教室で一番反抗し、死ねと叫び、はさみを振り回して教室をウロウロし、紙ヒコーキを飛ばしてたあの子が立派に司会を務めていた。
教室の床を奇声を上げながら転がり回っていたあの子も、立派な挨拶で、ピシッと立っていた。
人の中には、いい自分と悪い自分が両方いる。
究極の陰と陽は、人間の内側にこそある。
それを、まざまざと見せてもらった。
わたしは、彼らを純粋に大好き!とは思えないけど、ある意味とても貴重なものを見せてもらってありがとう。とは言いたい。
今年はいい先生に当たってよかったね!と心から思う。
人ってほんとに、出会うタイミングと立場によって全てが違って見えるのね。
その不思議を、一言では表せない複雑な想いで見つめた一日だった。
でも、今日コロナで発表会前日に中止になった演奏を聞いてるときに、あの日々が少しだけ報われた気がしました。
1から楽譜を読んで、リズムをひたすら練習してるのを見てきた。いい演奏だった❤️
いろいろ勉強させてもらった6年生、どうもありがとう😊✨
一番大好きだった女子から手渡された一輪のバラの花🌹どんな荒れてる場所にも必ずいい子はいるんだよね。