深呼吸図書館

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アーリオン・メッセージ「自立」と「自知」

抜き書きの約束をしていたアーリオン・メッセージ。

少数でももしかしたら待っててくださる方がいらしたかもしれませんね。

 

今年も一年このぐだぐだブログにお付き合いいただいた感謝をこめて、なるべく年内に書き留めたいと思っています。

 

「グレートコンジャンクション」と呼ばれる木星土星が大接近した状態でやぎ座から水瓶座、土から風へと移り変わるイベントに大盛り上がりの占星術界とスピリチュアル界。

 

どんなに時代が変わろうと、天体が動こうと、社会が乱れようと、その土台は結局「自分をどこまで掘り下げて見つめることができるか」にあると思っています。

 

どんないい風が吹いたって、根っこがしっかり張っていなければ木は倒れる。

その「根を張る」作業が、アリオンの言う「自分を観る」だとわたしは思う。

これって、実は耳の痛いことばかり。

苦しく孤独な作業。

 

でも、この激動の2020年の終わりをきちんと締めくくり、さらに大荒れに混迷を極めていくであろう2021年を揺さぶられずに自分の内側の力に静かにフォーカスして過ごすための指針として、アリオンのメッセージが今、必要な人に届きますように。

 

p141~

 

 自立しなさい。

 自立とは、わからないことの連続だ。

 一瞬一瞬の行為を自らの決断で選び取り、

 その結果起きるであろう全てのことに責任を持ちなさい。

 だからといって、排他的になる必要は無い。

 誰の意見であれ、自らの意志で選んでいるんだという自覚がなければ、

 自らの能力を試す結果である責任も自分の手には入らない。

 自立とは、そういうことだ。

 

 自立を目指さない者に、私は今後、話し掛けることを善しとしないだろう

 

自立する=自己を確立する

ためには自分を「明確に」「多角的に」見据える必要がある。

と本文は続く。

以下は、アリオンが「自分を観る」ことについて説明している文章。

 

p143~146

自我の確立には、まず「自知」だろう。

「自分」を知る、というのは「言うは易し行うは難し」の代表選手みたいなものだ。 自分で思い込んだ世界での自分を知る――というのではなく、自分と呼ぶ個体の生きて いる環境の中の雑多な反映物をも通して知る、ことも必要だ。

それで私は「自分を観る」ことを勧めている

 

 

こんな時に自分はこう思った、でも友人は別のことを思った。

この違いは何なんだろう?自分はこうであるのに、友人はこうでは無い。

自分と友人の違い何なんだろう?と考え、お互いの持つ違いや差を認識して、その差をお互いに超えてゆくことを目指すためには、自らの性格を先ず見つけること、そして色々な基準に基づく評価を与えないことから始める・・・これを、「自分を観る」と私は名付けているんだよ

 

 

自分を観るということは、先ず自分の言葉で自分のことを語ることから、

そして他者にそれを伝えることから始まる。

他者の反応は自らのものとは異なる筈だ。

どこがどう異なるのか?

異なる点について自分は、どう感じるのか?

そうした事柄を誠実に会話する努力無しで、一般論を持ち出していては、自分を観ることから遠ざかることになる

 

何を見るのか?

まず「ああなりたい、こうなりたい」という思いを外した部分で、自分は一体、何の為に自分の生命を投げ出すことが出来るのか?ということを考える。

そうした時にこそ、自分が何であるか、何がしたいのかが見えてくる。

この状態の時に、もっとも人は謙虚に自分の生命を見つめることが出来る。

そうした裸の状態の自分を見ることが出来た時に、初めて自分の周囲が見えてくる

 

 

万民に通じるような方法論は無いけれど、あなたの中にくすぶっている「自分」を引き出す為の縄くらいは提供できるよ。

わたしは、あなたの鏡となって、あなたの「見たい自分」も、「見たくない自分」も対等に併置して見せることが出来るよ。

「見たい自分」とは既に知っている、「自分」。

「見たくない自分」とは、知っていても故意に見ようとしない、或いは全く気付かない場所に、忘却の彼方に追いやってしまった「自分」。

これらを対等に見る練習をすることから始める

 

自分を見る時に、人は自分にとって気持ちの良い自分をみようとする傾向があるが、敢えてそれをしないで、見えてくるままを見るということだ。

そもそも気持ちが良いと信じ込んでいることであっても、流行り廃りがあり、一昔の日本人にとっては心地よい状況も、現代の日本人にとっては心地良くないということも多々あるのだね。

そういった流行り廃りの無い、本当の自分の姿だけを見ようとするということは、真実の宇宙の姿に繋がる方法の一つでもあるんだよ

 

本当の自分を見ること、それがたとえ「こうありたい自分」から遠く離れていてもそれを認めること。認めることは嫌いにならないことだ。好きになれとは言わない。認めるということは、嫌いにならないこと・・・そして好きになることでもない。

ただ、ありのままに「それを、そこに在ると知る」ことなのだ。

この行為を通して、あなたがたは多くのことを見つけるだろう。

それは「自分とはこういうものだ」という枠を壊すことに繋がってゆくだろう。

つまり、自分を何にも規定したりしないこと、自分を自分として見つけること出来るようになる道へ繋がる行為になるからだ

 

 

―――中略(後日戻って抜き書き予定)——―

 

 

p162~163

 

聖書の黙示録に書かれていることを、抜粋してノストラダムスの予言と同等に扱い、それによって終末恐怖感を煽る。

終末恐怖感を煽って、民衆を一方向へ釘付けにしておいて、その反対側の所で着々と自分たちの利益の為に行動してゆく・・・というパターンの活動をしている者もいるということを、みんなが知るべきだと思ったんだよ。

だからと言って疑心暗鬼になって、すべてに疑いの目を向けろというのではなく、記憶のどこかに、こういう普通の人の知らない「事実」も秘かに進行しているということを刻みつけておけば、「本当のこと」に並んで陳列される、「本当のこと」のソックリさんにも気付きやすいと思うのだ

 

 

この本は1996年に発行されている。

この箇所は1999年のノストラダムスのことについて語っている部分であるが、今読むともう今のコロナの狂った世界について書かれているとしか思えない。

もしくは第二次世界大戦へと駆り立てた煽動的な流れ。

時代はいつも、同じような手法で繰り返し操作されてきた。

 

アリオンは、そっくりさんを見分け、正しくアプローチするための方法について、

 

「自分を観る」こと

「自分にも他人にも嘘をつかない」こと

 

だと述べている。

 

そしてね、真実を見分ける力は日本人の血の中に、「チップ」として埋め込まれているんだって。そしてその「血」はね、日本の「地」から育まれたもの。

力(ちから)とは、「血」から、であり、「地」からである。

だから、大切な場所には古くから神社を建てて守ってきたのだ。

 

わたしたちは、日本人であることにもっと誇りをもっていい。

 

 

 

 

    つづく・・・(な、長い(;´Д`))

 


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