児童書を久々に。
チポロ。
前からこの作家さんの大ファンで、図書館で見つけて、タイトルだけ見て、大好きなお話だと読む前にわかった。
読み終わってみて、はずさずに大好きでした。
正統派の日本のファンタジー。
アイヌの少年の冒険譚。
最近また自分の中でアイヌが熱くて、チポロもそのブームにのるかのようにアイヌ民話を下敷きとしたファンタジーだった。
見開きにある本文からの抜き出しが初っ端からわたしのハートを鷲掴み!❤
「・・・・俺は負けるのなんか慣れてる。
俺は生まれてからずっと負け続けだったんだ。
おまえと違ってさ。
だから今さら、何回負けたってどうってことないんだ」
9歳のチポロが弓で一羽のツルを仕留めるところから物語は始まる。
チポロは、おばあちゃんと二人きりで集落の外れに暮らしている。
お父さんとお母さんはいない。
幼なじみの女の子イレシュは、貧しく体が小さくて仲間からバカにされるチポロをいつもかばってくれる優しい子。
ある年、村に恐ろしい魔物たちがやってきて、イレシュをさらっていってしまう。
チポロはイレシュを助けにたった一人で北の果てにあるノカピラという港をめざすのです。
旅の道連れになってくれるミソサザイ(鳥)の神の言葉が、今回この本の中で一番わたしにはじ~んと響きました。
p130~131
「期待しすぎだよ、人間は。いつも大きくて強くてなにかほどこして助けてくれる、そんな神さまばっかり望んでる」
「う・・・」
チポロは言葉に詰まりました。ミソサザイの神の言うとおりかもしれない。と思ったのです。
小さなころからいつもチポロは、「神さまがいるなら、もっと助けてくれないかな」と、期待していました。だから「旅の仲間」と言われた時、力もなさそうな小さな神さまを見て、がっかりしたのです。
「そんなに期待ばっかりしてるから、神さまたちも嫌になるんだよ」
「えっ、嫌になってるの?」
ミソサザイの神が黙り込んだので、チポロはかえって本当なんだと思いました。
「教えてくれよ。神さまたちは、人間のことが嫌になってるの?」
「そうだな~」と、ミソサザイの神は答えました。
「俺たちや、シカマ・カムイはそうじゃない。でも嫌になってる者たちもいるね。人間は勝手だし、強欲だから、愛想を尽かしてる。だから魔物たちがのさばってきてるのさ」
ミソサザイの神は語りました。
神と人と近かったころ、この世界は安定し、魔物たちも神を恐れてやってくることはなかった。だが、神は人から離れ、魔物たちに恐れるものはなくなった・・・
・・・・引用終了
さてさて、チポロは無事イレシュを助け出して故郷の村に帰れるのでしょうか??
というワクワクドキドキをぜひ楽しんでくださいな。
個人的には、「魂送りの矢」という設定がかなり萌えポイントだった。
日本の文化の原点はやはり「祓い清め」にある。
様々な神道の本、日聖さんも繰り返し述べられている。
悪を、ただ切って捨てない!
怒りを鎮めて、正気に戻して、神としてまつる。
改心させるところまで、面倒を見る。
悪い者はただ成敗して終わりではないのだ。
だって、そこにまた「怨念」が残っちゃうでしょ。
清めてあげなくちゃだめなんだ。
憎しみはまた次の争いを生むから。
アイヌの文化が貴いのは、命をいただくことに対していつも感謝し、殺したら魂を必ず神の国に送り返す。また来てください。と敬意を払う。
必要な分だけいただき、決してそれ以上はとらない。ということをず~っとず~っと長いこと守って平和に暮らしてきたところ。
倭人が入って来て、とりたい放題とりたい人々は、儀式やしきたりにうるさいアイヌが邪魔だった。だから、字が読めないアイヌに不当な取引を持ちかけ、住む場所や様々なものを奪い、それでも飽き足らずに虐殺した。
今でも、アイヌの人々への差別は残っているという。
自然と人とのあり方を、アイヌの文化は問いかけていると思う。
日本の国土はもともと、沖縄の人たちとアイヌの人たちのものだと思う。
今生きているわたしたちのほとんどは、アイヌや沖縄や中国や朝鮮の血のミックスだ。
争いのない世の中を願うには、まず自分の心の平和に心を配るしかないのよね。
今地上に残っている神さまが全員天へ帰られる前に。
「良心」という名の(内なる神)をもつ人々は、その良心を少しでも行動に移していかないといけないな。と、焦りにも似た気持ちで思いました。