こんなことべつにわたしが言う筋合いでもないですが、
「神社に呼ばれてる人たち」が世の中にはいっぱいいて面白いです。
「行きたいから行ってきた!」じゃダメなのでしょうか(笑)
だって、呼んでるのはどこの誰なの?
本当に霊能力があって、そういうお役目の方は確かにおられると思いますし、実際知ってるけど、いちいちアピールしない。
する必要もないから。
確かに、なんとなく「呼ばれてる気がした」とか、シンクロが重なった!とかはふつうに生きてる凡人にもありますよね。導かれてるとしか思えない・・・みたいな。
でもわたしがここで言いたいのは、ブログで神社参りを生業にしてる人たち!
記事の後には必ずセッションやヒーリングのお知らせや本の宣伝があるような('ω')
中には、神様からの声を受け取って神社参りツアーの参加者にお知らせします。みたいな人もいるようですが、それがなぜ、「神様からの声」だと言い切れるのか、わたしには謎!
人間にわかるような言葉で事細かく指図してくるのなんて神様のふりした「低級霊」な場合がほとんどだと思うんですけど。高級霊は事細かくペラペラ話したりしないと思う。
なぜ、黙って行かずにいちいちアピールしたいのか。
「私って、スゴイ!!」
って、人から思われたいし、自分で思いたいからじゃないのかな。
「私って、こんなに特別なの!!!」
って、人から思われたいし、自分が思いたいからじゃないのかな。
誰にでもある。
認められたい気持ち。
飽き飽きするような毎日の中で、「自分は特別だ」「選ばれた人間なんだ」って思えることがあったら、有頂天になっちゃう気持ち、よくわかる。
わたしの中にもあるから。
だけど、わたしが尊敬して、あこがれてる人たちは対極にいるような生き方を貫いている。
「地味で目立たず、だけど心をこめてコツコツ、人の役に立つために “させていただく”」という意識で働いている。
誰かに認められなくても、自分がしたくてやってることだから。
それをすることが、自分の喜びだから。
と、いう姿勢にしびれる。
いつかそうなりたいと思う。
なれるかわからないけど、目指したいと思う。
神社にご神体として鏡があるのは、その鏡に映る自分自身が、「我」を無くすことによって「か我み(鏡)」→「かみ(神)」になるから。という説を昔どこかで読みました。わたしたち日本人にとっての神は、あくまで「ご先祖」さまであり、私たち人間を生かしてくれる「自然の恵み」なのだと、神道を勉強していて強く感じます。
みんなが、宇宙をつくった神様の分け御霊だとしたら、誰かが特別えらいとか、高額セミナーや神社ツアーをやってるからすごい、とか。
そんなの一切ないと思う。
一人一人が、健康に気を付けて、自分にも人にも思いやりをもって過ごすことこそが、この世の中を良い想念で満たし、平和をつくる努力なんじゃないかな。
さんざん自己啓発本も、スピっぽい本も読んできたけど、今のわたしはそんなふうに思います。めっちゃふつうでありきたりの結論ですが。
日本人全体に足りないのは
「人から認められない」と「いい」と思えない自分を、
「人から認められなくても」「自分で自分をいい!!」って思える心のありかただと思う。
もちろん、自分を含めて。