この方をなんとお呼びすればいいのか。
相曽先生は、佐藤愛子さんの本で紹介された神道家であり霊覚者だ。静岡で町長さんをされたり、富士山でご神事をされたり。
1999年に亡くなられている。
やっと読みたくてたまらなかった本を読めて幸せ。マリア先生にお借りして読み終えました。
内容的には、日本の神道や日本という国についての熱い想いと、古事記の天孫降臨についての考察。など。あとは言霊についても勉強になる。
神霊界の仕組みなども説明されている。
マニアックの中のマニアック本ですね。
特筆すべきは、相曽先生は古事記を心から信じ、礼賛されていること。
天孫降臨は、事実であり、神々は、決して海の向こうからやって来た大陸の人などではない。という主張。天から降りてこられた。と何度も文中でおっしゃっている。
また、須佐之男命がどちらかというと悪者として扱われているところが、かなり気になった。
天照大御神一筋!
皇室一筋!!
天皇陛下万歳!
といった姿勢を貫かれているのが際立つ。
矢追日聖さんは、須佐之男系列の方なので、お二人のおっしゃっておられることは、かなり対立しているように感じる。
要は、自分の血筋がどこに繋がっているか、自分がどの立場からものを言っているかで、歴史は如何様にでも解釈できてしまうということを、目の当たりにした感じがする。
矢追さんは、古事記を編纂した稗田阿礼は、奈良の女性で霊能者だと言う。
一方、山本健造さんは、稗田とは、飛騨の出身であることをさす。と言う。
どの説が真実なのかは、わたしには図りようもないけれど、一つ確かなのは、お三方とも心から日本を誇りに思い、日本という国と日本人の未来を本気で考え、私心を捨てて人のために働かれた人生を送られていることだ。
そして、本を読む限り、みなさん類まれなる霊能力に恵まれている。
そして、神道系の教えを引き継いでいる。という点が共通している。
特に、神の正体はわたしたちを生かしている宇宙エネルギーであり、太陽そのものである。もしくはご先祖さまである。という根底にある信念は同じように感じる。
日本人に大切なのは争わないことであり、謙虚であること。そして和の心。
私達、日本人は、生まれたときからすでに一人残らず神様の分け御霊をいただいている。
神と人は対立するものではなく、人の中に神がいる。それを表に表すのは自分の心がけや行動次第だ。という部分において、相曽先生や矢追さんは同じように説かれている。
一つ気になったのは、相曽先生が障害者が生まれるのは親のカルマのせい、親に汚れや過ちがある。と断言されているところ。
わたしはこれには異を唱えたい。
あんまりにも酷すぎると思うし、そんなことないと思う。もっと汚れたことしてても健常者を産んでる人はゴマンといる!
それに対して、矢追さんは、苦しんでいる親御さんや、障害者本人を裁くことなく受け入れ続けて、その人たちも幸せに暮らせる施設まで作っている。
結局最後は、真実がどっちかというより、自分の好みになってしまうな。
どっちの考えが好きか。
自分と合うか。
わたしはやっぱり、どう考えても天津神の側ではなく、国津神の側の子孫なんだと思う。ただの勘でしかないけど。
本自体も相曽先生も、心の底から素晴らしいと思うし、尊敬いたします。
お金稼いで、いつか買いたい!
勉強したい。何度も読み返して。
興味のあるなしはハッキリ分かれるでしょうが、これ程日本のことや天皇陛下のことを考えて行動された人が過去にいらしたことを、知っておいて損はないと思います。