昨日のスイッチインタビュー、マツコとつんくだった。はじめ、一人はしゃべってて、一人はパソコンで文字を打つ。という対談方式に慣れず、見てて少しハラハラしたけど、トークが白熱するにつれて、まったく気にならなくなった。
わたしはマツコが大好き。
つんくの音楽が大好きという彼女。
そして、90年代を引っ張ってきたつんく。
一年に100曲作ってきたというから驚きだ。
昨日の番組を見ててね、つんくさんは、マツコを心配し、労るために出てきた感じがした。本当は繊細で寂しがりやなマツコさん。それを見せじと、強気なオカマで突っ走ってるように見せて無理をする彼女にかける言葉が、あたたかくて泣きそうになった。
つんくに、自分の本音の言葉がそのまままっすぐ伝わることを知って、どんどん子供みたいに素直で自信のない、頼りない表情を見せるマツコ。
つんくさん。
何度もマツコを心配し、ねぎらい、会えてよかった。と言葉をかけていた。
マツコさん。
こんなに成功していてもきっと、本人は100%の幸せの中にはいないのだな。
なんか、抱きしめてあげたくなる感じだった。女装していない自分は、モラリストで個性がなく、本当につまらない人間だと言っていた。だけど、世間や視聴者に彼女がこれだけ深く広く受け入れられたのは間違いなく、彼女がきちんとまっとうな常識を身に着けた人間であると感じているからだ。
そして、つんくさんの、深く澄んだ瞳。
苦しみに極限まで削られた人だけがもつあの瞳。佇まい。素晴らしかった。
対談という場に出てくるのにはきっと、ものすごい葛藤があっただろうし、怖い気持ちだってあったと思う。
でも、わたしには、突っ走りすぎて、自分を省みずに、自分をうまく愛せないままに、不安定になってるマツコさんを支え、励ますために来たように映った。
本当のところはどうだかわからないけど、そう見えた。カッコよかった。
声を失っても、人として、カッコよかった。
人にはいろいろなステージがあって、それは何も、第一線でバリバリ華やかに活躍しているときだけが人生の全てではない。
その後の、静かな時間だって、全部含めての人生で、それを他人がとやかく挫折だのなんだの勝手に言うもんじゃない。
小室さんだってそう。
全部含めて人生であり、その人の学びだと思う。引退するのは本人の決断。それをかわいそがったり、何も知らない他人の言葉は全てうざいだけだと思う。
もちろん、家庭の事情も知らずに不倫だなんだとくだらない価値観で人を裁くのはそれこそゲスの極みよね。
自分で、決めて、自分で責任を取る。
その決断に本人が納得している、ということだけが大切で、あとはどうでもいいことだ。
つんくさん。
小室さん。
マツコさん。
それぞれのこれからのご活躍とともに、世間的な成功とはまた一味違った、自分の心が満たされる穏やかな日々を送られることをお祈りいたします。