もう、政治の話をするのはやめる。
無力感がすごすぎて、気持ちが持ってかれてしまう。テレビもあんまり見ないことにする。
自分の内側からやることにする。
アプローチの仕方を変えてみる。
台風一過の青空が気持ちよかった。
たまりにたまった本を整理する。
全然終わらなくて、夕方16時。
突然部屋にプリズムが表れた!
びっくりした。
魔法かと思った。
サプライズ!
うれしい。
もう、政治の話をするのはやめる。
無力感がすごすぎて、気持ちが持ってかれてしまう。テレビもあんまり見ないことにする。
自分の内側からやることにする。
アプローチの仕方を変えてみる。
台風一過の青空が気持ちよかった。
たまりにたまった本を整理する。
全然終わらなくて、夕方16時。
突然部屋にプリズムが表れた!
びっくりした。
魔法かと思った。
サプライズ!
うれしい。
ただなんとなく、写真を載せたくなったから載せます。9月はきれいな山の景色を見られて幸せだった。10月は雨ばっかりだね。
水の心配がないのは有り難いけど。
台風の被害が最小限で済みますように。
ずーっと会うのを楽しみにしてた大好きな友達と会っておしゃべり。
雨の明治神宮も、味があってまたよかった。
腰痛ひきこもりおばさんには、原宿〜表参道の人混みは刺激的すぎて、ちょっとびっくり(*_*)
久しぶりに思いっきりしゃべって楽しかったー!健康の次に大事なのは家族と友達だよなぁ。と、しみじみ。
いつも挑戦し続ける友達の姿勢を尊敬します。わたしは、骨盤調整と腸の勉強コツコツがんばるよ!
余談だけど、今日行きたいと思ってた目的地が両方潰れてて、衝撃を受けた!!
そんなことってある?!(笑)
はぁ。楽しかった!
写真は関係ないけど、なんとなく柿。
この本、読み終わった。
骨盤調整で健康にやせる―自然痩身法の原理 (自分でつくる元気生活)
めちゃくちゃ面白かった!
骨盤って、大事なんだな。
特に女の人にとって。
著者は、整体の祖である「野口晴哉先生」に師事した後、独立してヨガと整体を組み合わせた独自のメソッドを開発したカリスマらしい。
始めてこの本で存じ上げたが、只者ではない感じがぷんぷんする。
ハマってしまいそうだ(*_*)
まず最初に、「痩せてようが太ってようが、心が晴れ晴れとして元気溌剌で、その人にとって自然な状態なら構わない」と述べておられます。
大事なのはとらわれがないこと!
おお~、達人の匂いがしますぞ。と初っ端からワクワクする。
そんでもってこの本の要旨は一言で言うと・・・。
骨盤が閉まると「痩せる」
骨盤が開くと「太る」
ということ。
さらに、片方の骨盤だけが開いていて、しかも開ききらずにつっかえた状態になっていると、余分に太る。のだそうだ。
だから、「食べる」=「太る」は嘘!!
と繰り返し書いてある。
「ヤセル・フトル」は、実はちょっとした「骨盤の開閉の差」で決まる!
という主張に基づき、“自然で、確実で、快感のある骨盤の体操や調整法”を提示してくれるのがこの本の内容でした。
「骨盤の意味と役割」がとてもわかりやすく書かれている。
特に、昨今の女性の生理異常や子宮の病気、不妊の原因は、「目や頭の使いすぎと、骨盤の歪みにある」という話はとてもためになるものだった。
男と女では骨盤の形から動きからまったく違う、というのも初めて知った。
骨盤の役割は、まず第一に生殖器を内蔵し上体の重みを受け止めることにある。
そして骨盤の守っている生殖器は、内臓、神経、心に重大な影響を与えるという。
著者曰く、「骨盤」=「生殖器」
だからこそ、骨盤の動きを正常な状態に調えることがとても大切なのだそうだ。
そして、本の後半にはそのための具体的なヨガのポーズや呼吸法が説明されている。
めんどくさがっていつもは「ふーん」と思うだけでやらない私ですが、今回はやってみようと思います。
非常にわかりやすく、ためになる知識が書かれた良書でした(*^-^*)
学ぶって、楽しいね☆彡
こんなことべつにわたしが言う筋合いでもないですが、
「神社に呼ばれてる人たち」が世の中にはいっぱいいて面白いです。
「行きたいから行ってきた!」じゃダメなのでしょうか(笑)
だって、呼んでるのはどこの誰なの?
本当に霊能力があって、そういうお役目の方は確かにおられると思いますし、実際知ってるけど、いちいちアピールしない。
する必要もないから。
確かに、なんとなく「呼ばれてる気がした」とか、シンクロが重なった!とかはふつうに生きてる凡人にもありますよね。導かれてるとしか思えない・・・みたいな。
でもわたしがここで言いたいのは、ブログで神社参りを生業にしてる人たち!
記事の後には必ずセッションやヒーリングのお知らせや本の宣伝があるような('ω')
中には、神様からの声を受け取って神社参りツアーの参加者にお知らせします。みたいな人もいるようですが、それがなぜ、「神様からの声」だと言い切れるのか、わたしには謎!
人間にわかるような言葉で事細かく指図してくるのなんて神様のふりした「低級霊」な場合がほとんどだと思うんですけど。高級霊は事細かくペラペラ話したりしないと思う。
なぜ、黙って行かずにいちいちアピールしたいのか。
「私って、スゴイ!!」
って、人から思われたいし、自分で思いたいからじゃないのかな。
「私って、こんなに特別なの!!!」
って、人から思われたいし、自分が思いたいからじゃないのかな。
誰にでもある。
認められたい気持ち。
飽き飽きするような毎日の中で、「自分は特別だ」「選ばれた人間なんだ」って思えることがあったら、有頂天になっちゃう気持ち、よくわかる。
わたしの中にもあるから。
だけど、わたしが尊敬して、あこがれてる人たちは対極にいるような生き方を貫いている。
「地味で目立たず、だけど心をこめてコツコツ、人の役に立つために “させていただく”」という意識で働いている。
誰かに認められなくても、自分がしたくてやってることだから。
それをすることが、自分の喜びだから。
と、いう姿勢にしびれる。
いつかそうなりたいと思う。
なれるかわからないけど、目指したいと思う。
神社にご神体として鏡があるのは、その鏡に映る自分自身が、「我」を無くすことによって「か我み(鏡)」→「かみ(神)」になるから。という説を昔どこかで読みました。わたしたち日本人にとっての神は、あくまで「ご先祖」さまであり、私たち人間を生かしてくれる「自然の恵み」なのだと、神道を勉強していて強く感じます。
みんなが、宇宙をつくった神様の分け御霊だとしたら、誰かが特別えらいとか、高額セミナーや神社ツアーをやってるからすごい、とか。
そんなの一切ないと思う。
一人一人が、健康に気を付けて、自分にも人にも思いやりをもって過ごすことこそが、この世の中を良い想念で満たし、平和をつくる努力なんじゃないかな。
さんざん自己啓発本も、スピっぽい本も読んできたけど、今のわたしはそんなふうに思います。めっちゃふつうでありきたりの結論ですが。
日本人全体に足りないのは
「人から認められない」と「いい」と思えない自分を、
「人から認められなくても」「自分で自分をいい!!」って思える心のありかただと思う。
もちろん、自分を含めて。
腰を痛めなかったら、一生読み終わらなかったであろうこの本を読み終えました。
やっと読み終えて、しかも数か月ぶりに書評を書こうとしたのに、さっき半分くらいまで書いた記事が一瞬で消えて、心折れそう( ;∀;)
面白かったけど、難しい!
専門的すぎて読むのが大変だった。パッパラパーのおばかな頭じゃオーバーヒート(*_*)
学術書!って感じの内容です。
正直感想まとまる気がしませんが、一度読んだだけじゃまったく頭に入らないので、書いて整理する作戦決行。
ハリケーンの後みたいに頭の中がぐっちゃぐちゃだい。
さて、ホツマツタエとはなんぞや?
というところから。
早速Wikipedia先生にご登場願います。
以下引用
『ホツマツタヱ』は、「ヲシテ」なる「文字」(いわゆる「神代文字」の一つである)を使っているいわゆる「ヲシテ文献」のひとつ(学会、学界、学者からは偽書とされている)。五七調の長歌体で記され、全40アヤ(章)、10700行余、で構成された、研究者によれば記紀の「原書」であるという、いわゆる「古史古伝」のひとつである。その成立時期は、記紀との内容比較から『古事記』『日本書紀』よりも古いという主張もあるが、写本の出現時期などからは少なく見積もった場合、江戸時代中期までしか遡れない。『春日山紀』(安永8年、1779)の存在による[1](『春日山紀』は、江戸時代当時の木版活版での印刷出版物である。岩波書店版『国書総目録』に記載あり)。
この古文書は、1966年(昭和41年)に自由国民社の編集長であった松本善之助が東京、神田の古書店で写本を偶然発見したことから世に知られることになった[要出典]。松本はそれまで『現代用語の基礎知識』や『現代の経営(ピーター・ドラッカー)』など出版事業に深く携わっていた[要出典]。『ホツマツタヱ』との出会い以来は、写本の発見とその校正、読解に心血を注ぎ込んで、『古事記』・『日本書紀』との三書対照を踏まえて、『ホツマツタヱ』こそが、記紀の原典であると確信するに至った[要出典]。
2016年12月に愛好家が、「再発見50高島 ホツマツタヱ 縄文ロマンの集い」を開催した。清藤直樹は、ホツマツタヱは「数千年前から紀元後までの歴史や風土などを記した大叙事詩だ」と言った。
・・・引用終了
はい。わかりましたか?
難しいよね(笑)
ホツマツタエは要するに、「ヲシデ文字」と呼ばれる、漢字が入るよりずっと昔から日本にあった(と言われている)文字で書かれた日本の「古史古伝」のこと。
全て五七五調の長歌形式で記されている。
問題は、これが正当な文献なのか、偽書なのか。というところ。
学会ではバッサリ「偽書」とされているらしい。
でも、「正統」な古事記以前の歴史書だ!と主張する人もいる。
で、ほんとのところ実際どっちなの??
誰か、詳しい人教えてほしい。
わたしは、ホツマツタエの本をこの一冊しか読んでないけど、ず~っと自分なりに日本人の古代の精神文化みたいなものを調べてきて思うのは、言ってることの中身がとても一朝一夕に考えられたようなレベルではない深淵なる智恵を含んでいるし、具体的な記述についても「神道」の世界観と非常に合致する。と思う。
なので、一概に偽書だと言うのはどうなのかな、と疑問は残る。
ただ一方で、「あいうえお」という平仮名は平安時代に空海が考え出した。という説が本当なら、このホツマツタエの時代にあいうえおはまだ存在してなかったということになる。でも、この本は主に「あいうえお」ありきで語られているんだよね。
古代に文字があったのか。
これも、タイムマシーンで古代に行かないかぎりはわからないよね。
でも、古い歴史をもつ民族は、ほぼ間違いなく口頭伝承でその歴史を残している。
だから、その口伝で残された歴史を、のちの世の人が書き出した。と考えるのが自然なのか。あとはもう、要するに「霊界通信」みたいな感じで、霊能力のあるひとが「出口王仁三郎」的な感じで“ 降ろされた ”か。
どっちかなのかな。
なんだかここまでの時点で長くなってしまったので、次の記事に続く。。。
今回も完全自己満足メモとなってますので、興味のない方はスルーしてくださいませ。
雨がちらほら降る朝。
雨の中で息づく緑の中に立ち、思いっきり朝の空気を吸いたくなった。
近くの公園は、一人貸し切り。
金木犀が満開。
白いツバキが清楚なのに色っぽい。
家の中にこもってたから、こんなことがとても贅沢で幸せに感じる。
最近の、キーワードは
【被害者意識】 と
【山より大きな獅子は出ん!】
でございます。
違う本を読んでてもブログを読んでても、くり返し出てくる。わたし、悲劇のヒロイン演じたら誰にも負けないほどの熱演人生だったからな。
やめようやめよう。
雨に濡れた花みたく、美しい心になりたいな。