こんなこと、わたしが言っていいのかわからない。だけど、言わずにいられないから言う!
だってここは、わたしのブログであり、わたしという人間の意見表明の場。
大きな災害が起こるたび、スピの人たちの中で必ず出てくる用語。
「浄化」
地球の自浄作用としての浄化という現象は、あると思う。わたしも。
だけど、それをわたしたちイチ人間が、ただの人間がこれみよがしに言っていいものなの?!
本物の、利他の精神で働く霊的な力を持つ人が、自分に教えを請いに来た人に、非公式にそんなふうに教えるのはいいのかもしれない。人間の行いが悪ければ、地球でそういうことが起こり得ると。
だけど、なんの責任も、なんの痛みも引き受けてない人が、スピリチュアルカウンセラーだのなんだの名乗る人が、それを軽々言って許されるのか?!
おかしいだろ???
言っても許されるのは、
災害の只中にある人だけじゃないのか。
土砂に家ごと潰され、または浸水して、家も財産も失い、先の見通しのない不安な避難所にいて、家族が行方不明で土砂に埋まってるかもしれないような状況にいる人。
その人が、これも神様の浄化だから、甘んじて受け止める。
と言うのならば、すごい覚悟だと思う。
尊敬する。
でもね、なんの被害もない日常の中にいて、クーラーのかかる涼しい部屋で、家も財産も家族も何ひとつ失うこともなく、普段通りの日々を自分は過ごしながら、どの口が浄化だから仕方ない。祈りましょう。と言えるのか。わたしにはわからない。
どうしても疑問と憤りを感じる。
人の痛みに、心を痛めることもなく、自分だったら?と想像することもなく、上から目線で浄化だと言える人に、わたしは夕ごはんの献立すら相談したくない!!
あなたの家族が現にこの雨で亡くなったばかりでも、浄化だ。と言って納得できるのか?
ネットだから言えるのだろうか?
実名晒してないから?
不特定多数に向けての発信だから、言えるのだろうか?
目の前にいる、今自衛隊に救助されたばかりの全身ずぶ濡れの人に、面と向かって浄化だと言える人がいたら、その人は地獄に落ちると思う。
祈りとは、行動である。
土砂の中に救助に行ったり、今後の復旧作業を手伝いに行けるわけでもないわたしは、軽々しく祈りましょうとか言えない。
心を寄せる。祈ることは、個人個人が誰に言われるまでもなく行えばいいこと。
浄化はまず、自分自身の心の中で行うものだ。日常の中で、いかにいい想念で過ごせるか。苦しい感情や偏った考えと向き合って、嘘のないスッキリと楽しい気持ちで過ごす努力。
支援は、自分の手の届く範囲で各々がすればいいと思う。