—――― 唯一絶対の神は果たして世界を、人類を救うのか。
それを考えたときに、必ず心に浮かぶ、一冊の本の中のセリフがある。
それが、守り人シリーズの第5作にあたる「神の守り人・下」の中で主人公バルサがアスラという神の力を得た女の子に語りかける言葉。
以下抜粋します。
P136
「わたしは、神がどんなものか、わからない。幼い頃、父から、雷神ヨーラムが、どんなふうにこの世を創造していったのか教わったし、ふしぎな精霊たちに、幾度か触れる機会があったけれど。
雲を湧かせ、雨を降らせる精霊の卵も見たし、人の夢をいだく花も見た。人の思いを青く輝く石に変える、透明な蛇に似た山の王にも出会った。だけど・・・」
バルサは、つぶやくようにいった。
「よい人を救ってくれて、悪人を罰してくれる神には、まだ一度も出会ったことがない」
アスラは目をあげた。バルサの目には、アスラを責める色はなかった。その目に浮かんでいたのは、深い哀しみだけだった。
「悪人を裁いてくれるような神がいるなら、この世に、これほど不幸があるはずがない。・・・・そう思わないかい?」
P139
「わたしには、タルの信仰はわからない。タルハマヤが、どんな神なのかも、知らない。
だけどね、命あるものを、好き勝手に殺せる神になることが、幸せだとは、わたしには思えないよ。・・・・そんな神が、この世を幸せにするとも、思えない」
涙を流しながら、アスラはバルサを見つめた。
「そんなものに、ならないでおくれ、アスラ。・・・・狼を殺したときの、あんたの顔は、とても恐ろしかったよ」
・・・・・・・・・・・抜粋終了
「タルハマヤ」とは、ロタ王国の少数民族「タルの民」に言い伝えられている、異界の川の流れにのってやってくる、血に飢えた畏ろしき神の名だ。
この神と一つになった者を「サーダ・タルハマヤ」と呼び、サーダ・タルハマヤが怒ると、その身からタルハマヤがあらわれ、つむじ風のように人びとを襲い、瞬時に喉を切り裂いて殺したという伝説がある。その恐怖支配がなんと100年も続いたのだ。
遠い昔に、タルハマヤに殺されずにすんだ残った氏族が力を合わせてサーダ・タルハマヤを殺し、ロタ王国を築き上げた。タルの民は、一族からサーダ・タルハマヤを出し、恐ろしい時代を招いたことを恥じて、その後ロタ王国の陰で、ひっそりと息をひそめて、ロタ人に差別されながら過ごしていた。
そのタルの民の異能者が「アスラ」であり、彼女は実の母の導きによって、厳重に封印されていたはずの「タルハマヤ」をその身に招いてしまう。
しかし、両親を亡くし、ロタ人からひどい差別を受け、ついには人買いに売られてしまうほどの悲惨な人生をたどる少女は、恐ろしき神・タルハマヤの真の姿を知らず、母親が彼女に教えた通り、「悪人を裁き、平和な世界をつくる、自分を救ってくれる神様」だと思っている。
わずか12歳のアスラを、南部と北部の領主が争うロタ王国の危機を救う「神」として再び利用しようとするもの。喉から手が出るほどその力がほしいが、それは決してしてはならぬことだと心を揺らすロタ王家。アスラを大人の都合で「大義名分」のために残酷な「人殺し」にしてたまるかと、一人踏ん張り闘うバルサ。
複雑に絡み合うそれぞれの思惑が炸裂し、タルハマヤは今にも再来寸前!!
果たして、バルサとアスラの運命やいかに??!
という手に汗握る冒険譚です。
めちゃくちゃ面白いよ。
ハラハラドキドキズキズキ。
人間の愚かさとか、弱さ、とか、ずるさとか。
そういうものを上橋さんは巧みに描き、それがバルサというあくまで一個人の熱い情熱によってちゃんと一つの方向へと収束していくストーリー展開が見事。
上橋さんは、アボリジニを専門に研究されている文化人類学者でもあるので、少数民族や立場の違いによる様々な目線からの話の組み立てが抜群に上手。
そして、それらがすべて、妙に説明口調だったり説教臭かったりせず、誰もがわくわく楽しめるファンタジーの世界として存分に発揮されまくっている。
とてもとても好きなお話の一つです。
冒頭のバルサのセリフは、現代に生きるわたしたちにも深く突き刺さります。
唯一絶対の神、がわたしは好きじゃない。
善と悪に分けるのは、西洋的な考え方。だと思う。
陰と陽。
それらは一つであり、お互いに揺らめき合っている、と教える東洋。
日月神示には「悪も神仕組みの一つ。悪は抱き参らせよ」とあります。
「絶対的な安心」「絶対的な強い力」。
時代が混迷を深めるほど、人々はそういうものを求める。
だけど、そんなものはどこにもないよ。とバルサは教えてくれている気がします。
世の中からはじかれてしまった弱者が将来犯罪の温床、もしくは国を揺るがす存在にならないためにも、バルサのようなあたたかい心と行動力を持った人が必要だ。
バルサ~。次は平和になった新ヨゴ皇国から日本に来て皇太子を助けて~(笑)