深呼吸図書館

悩めるあなたのための1冊アドバイザー“なついちご”が、今のあなたの気分にぴったりの本紹介します。

わがたましいをいたましむることなかれ

なんだろう。

なんだかわからないけど書いた方がいい気がするので書きます。

 

昨日、久々に自分が病んでて一番しんどかったときの話をした。

「どうやってそれを乗り越えたの?」って聞かれた。

わたしは、乗り越えたんだろうか・・・。

ただもがいていただけな気がする。

 

あれから10年以上が経って、確かにあのときの自分と今の自分ではまったく別の人間になったと思う。基本的な性格はもちろん変わらないけど。

なんていうか、心の中やおなかの中で思っていることが変わった。

そしたら、わたしをひどい目に合わせる人がぐんと減ってきた。

「現実は鏡だ」っていうスピリチュアル系の人がよく言う言葉。

けっ!!って思ってたし、「んなわけねーだろ!!」ってやさぐれモードで思ってた。

だって、今こんなにつらくて苦しい思いしているわたしが全部悪いってこと??って泣きそうになりながら思ってた。

その考え方に、反抗することで、崩れそうな自分の気持ちを保ってた。

 

でも今は、「現実は心の鏡だ」って言われたらそうなんだな~。

って素直受け止められる自分がいる。

 

自分には価値がない。

自分はダメな人間だ。

なんでみんなもっと私を認めてくれないの?

こんなにがんばっているのに。

この先生きててもいいことなんてあるはずない。

 

そんなふうにずっと思って生きて来たけど、数年前からそれをやめようと思って努力している。だって、生きてていいこともたくさんあったもん。

結果は出てると思う。

心が平和な日が多くなった。

もちろん嵐の日もある。

わたしは、もって生まれた性質的に、よっぽど自分で気を付けないと精神的に不安定で、振れ幅の大きい極端な人間だから。

占星術でも「極端」とか「浮き沈み」とか同じワードが繰り返し出てくるし。

 

昔、うつ状態で精神科に通うことになった時、一番最初に書かされた問診票に「身内に精神病の人がいますか?」という質問があった。

それを読んで、「あー」と思った。

もうすでに叔父は自殺して、叔母は行方不明だったから。

そして母は介護疲れでノイローゼっぽい状態だったし。

父は末期がんで余命は1年くらいだったときの話。

 

友達が仕事始めて彼氏もできて、キラキラしてまぶしかった時期に、わたし、もう人生終わった。死にたい。って毎日毎日思ってた。2年か3年くらいかな。

あのとき死ねない弱い自分でよかったな。と今は思う。

死ねる方が強いって思ってたけど。

死ぬのが怖い弱虫で正解だった。結果的には。

 

だから、苦しい人にも死なないでほしいと思う。

精神世界の勉強をこつこつしてきて確信に変わったことは、「死んでも苦しいのは消えない」し、「死んでも苦しみから逃れられない、楽にならない」ということ。

わたしは死んだこともないし、特別な能力があって死後の世界をのぞいたりもできない。

だからわたしの言うことを信じても信じなくてもいい。

 

でも、死んでも楽にはならないです。

きっぱりと。

 

死んだ方が楽だ、って思うほどに、自分の心を変える方が苦しい時がある。

心を変えるって、自分の今までのがんばりを否定されるような、今までの人生がすべて崩れてしまうような気がするから、恐怖。

でも、変えられるのは生きてるときだけ。

 

死んじゃいけないのは、この体と命が「自分」のものじゃないから。

神さまからの「借り物」だから。

だから自殺は、「殺人」の罪に問われる。

 

どこを探しても、生きる力がからっぽで、がんばりたくてもがんばれないときは、息して生きてりゃいいんだよ。ばななさんも言ってたけど、「粘るしかない」「逃げ切るしかない」

 

「よくなりたい」「幸せになりたい」って思う気持ちこそが、神さまからのプレゼントなのかも。と思う。

だって、「思おう!考えてよう!」とか思わなくても、人は自然と「幸せになりたい」と思うものだから。その気持を殺さないように、わずかに光るその気持ちを目印に、出口を探し続けるしかない。

 

「楽しさ」や「心地よさ」が人を動かす。

人を幸せに導く。

身体の本を読んでいて、そんなふうに書いてあるとうれしくなる。

本当にそのとおりだと思うから。

人は、痛いこともつらいことも、つまんないこともしたくない。

 

「楽しさ」や「心地よさ」が人を動かす。

自分の中の「楽しさ」と「心地よさ」を、死ぬまでにひとつでも多く見つける「宝探しゲーム」を、日常の中で意識しながらやってみる。

 

わたしが心の中で信じていること。

やっとここまできたな、と思っていること。

神は、自分の中にいる。

 

心は即ち神明の本主(もとあるじ)たり。

わが心神(たましい)を傷(いた)ましむること勿(なか)れ

 

   〜六根清浄祓詞より

 

みんな、「わがたましいをいたましむることなかれ!」だよ(*^_^*)


f:id:natsuberry:20181125111404j:image

 

自尊、自知、自制

職場の人と今日話していた話と、いつも読んでいる方のブログで書かれていたことが思い切りかぶっていて驚いた。

 

キーワードは「インナーチャイルド」「自己評価の低さ」「ダメ夫」

 

話せば話すほど、問題は一つの核心へとたどりつくような気がしてならない。

「自己評価の低さ」「ゆがんだ自己像」

それが、自分を粗末に扱ってくる不幸せな人間関係を生み、そこから抜けられない悪循環を生む。

 

ヒプノセラピーを学んでいた時に、マリア先生が言った言葉で忘れられないひと言がある。

《「わたしなんか」が「おまえなんか」を引き寄せる。》

 

そこに客観性など一切ない。

腹の底で「自分が自分をどう思っているか」が鏡のように表されてくる。

「わたしなんかと結婚してれる人はこの人しかいない!」とか「あの人もよくないところはあるけど、わたしなんかと付き合ってくれてるから」とか。

モラハラやDVにあっている人ほど、「でもわたしにも悪いところがあったから」と言って離れられない傾向が非常に強いと感じる。

 

そこに、中立的な、客観的な目線から見たその人自身の「人格」とか、微塵も関係ないんだと思う。

 

ただただ、その人自身が自分をどう思っているかがすべてだ。

そして、本人がそのことに気がつけるかどうかがすべて。

 

自分を大切に扱ってくれない相手となぜ一緒にいるのか。

自分が大切にされない状況をなぜ受け入れ続けるのか。

 

「自分には価値がない」って思っているからじゃない?

本当に愛されて育ってきた人、健全な家庭環境で育った人は、自分を粗末に扱う人への「NO」が、たぶん自然と言える。

それは、つまり “ わたしは、あなたが粗末に扱っていいような人間ではありません ” という意思表示であり、「自尊感情」だ。

 

でも育ってきた家庭に問題があった人は、それが言えない場合が多い気がする。

尽くしても尽くしても報われないのはなんで?って思ってる。

 

それはたぶん、子供の頃に傷つけられたりいろんな事情で育ててこられなかった「自尊感情」が足りないから。

「自己肯定感」と言いかえてもいい。

 

笑っていても目が苦しそうな人と会うと、その人が少しでもその苦しみから解放される術を身につけることができますように。と思わずにはいられない。

 

みんな、大人になってからも、ぼけた老人になってからでさえも、自分がほしかったのに「親から」もらえなかったものをもらおうとして必死なんだなぁ。切なくなるね。

 

矢追日聖さんが書かれていた文章でとても心に残っている言葉。

 

「自尊、自知、自制、

 この3つのもののみが

 人生を最高の力へ導く」

 

自分を救えるのは自分だけだと、繰り返し考える。



f:id:natsuberry:20181124213606j:image

新嘗祭

 

www.sankei.com



 

 

戦後 11月23日=勤労感謝の日

戦前 11月23日=新嘗祭

 

なぜみんな、ハロウィンは知っていて、大好きで、大騒ぎしているのに。「新嘗祭」は知らないのか。

 

たまたまだと思いますか?

なんとなくだと思いますか?

 

陰謀っぽい話の続きが全然かけてなくてごめんなさいなんだけど、たまたまじゃないんだよ。メディアはある一定の層の人達に都合のいい情報しか流しません。

そしてその一定の層の人達には、とてもはっきりとした「意図」があるのです。

 

天皇の一番のお役目であり使命とは、なんだかわかりますか?

天皇は、日本という国の安泰と国家の繁栄を祈念するための祭祀王です。

新嘗祭は、日本という国が生まれたはるか昔から続く伝統行事です。

五穀豊穣と国の平和を祈って天皇陛下は夜通し祭祀を行われます。

 

 

新嘗祭を知っている人は、日本人の何割なんだろうね。

わたしも自分で興味を持って調べるまでは知らなかった。

知る機会がないものね。

GHQの政策の一つだからね。

皇室と国民との関係を断つこと。

それは、もう二度と欧米に歯向かうような団結をさせなため。

逆を言えば、それほど日本人の「和」の力、「団結力」は恐れられているということ。

 

国民が新嘗祭のことなんて忘れちゃって、3連休を浮かれポンチに過ごしている間も、天皇陛下は人知れず、日本人全体のために祈ってくださること、ありがたいと思います。

今上天皇新嘗祭をなさるのは今回が最後でしたね。心の中で、感謝の気持ちをお伝えしたいです。今上天皇は、宮中祭祀に熱心に取り組まれることで有名でした。

来年からはどうなるんでしょうね。

とても大きな変化の年になることに変わりはなさそうだけど、一人一人の心のあり方が現実に、より鮮明に反映されていきそうな気がする。

 

明月堂書店 – 「天皇を読む」第6回 たけもとのぶひろ【第123回】 – 月刊極北

 

 

自然災害が起きたときの、天皇陛下のお言葉の中には「国民に寄せる深い心がある」とわたしは感じます。でも、政治家にはその「心」は感じない。

天皇陛下はきっと、「自分の祈りが足りないから、災害が起こってしまった」という「自責」の念があるからこそ、あのように深く心を寄せ、ご高齢のお体をおしてまで被災地に出向かれるのではないか。と、個人的に思うことがあります。

真実はどうかわからないけれど。。

日本という国は、ずっと昔から、「祈り」の力で国を守ってきた。

それは紛れもない事実だ。

それが嘘なら宮中祭祀などとっくになくなっているだろう。

 

そして国を守る祈りは、天皇陛下一人でできるものではない。

その天皇陛下を親のように慕い、敬い、一致団結して祈る国民の力の集合体が大きな想念となって国を守るのだとわたしは思う。

万葉集に「国誉めの歌」があるのは、「言霊」の霊力を古代人が心から信じていたから。その土地をほめたたえることで、豊かな恵みをお与えください。と見えないものに向かって、本気で信じて祈っていたから。

 

わたしは思想的に右でも左でもなく、ただ事実としての古神道のあり方や日本人古来の精神性について勉強した結果、そんなふうに思います。

 

これを読んだ人のたったひとりでもいいから、これまでみんなのために、夜の皇居の寒い神嘉殿の中で孤独に祭祀を行ってきてくれた天皇陛下に心を寄せてほしいなと思います。

 

 

平成がもうすぐ終わりますね。

大きな時代のうねり。

 

TPPはどうなるのかな。

日本の食の未来はどうなるのかな。

 

世界はたしかに一つだけれど。

一番大切なのは自国民の幸せありきだということ。

それを犠牲にして他国のために尽くすのはただの奴隷だとわたしは思う。

 

なにかの歌に歌われていたように、「国」が滅びたあとにも「国民」はそこで生きて行かなきゃならない。そこに豊かな「山河」があれば生きて行けるだろうけど、それすら奪われたとしたらどうやって生きて行くのか。日本の「水源」が外国にどんどん買われています。そして、原発の汚染水は海に垂れ流されていますね。

 

わたしたちを、生かし育んでくれる日本国の大地を、古来は「祖土(おやつち)」と呼んだ。そして、その大地を、私たち一人一人の先祖を、そして生きとし生けるすべてのものを生かす宇宙の力を「御祖の神(みおやのかみ)」と呼んだ。

わたしは「みおやのかみ」が表す意味は決して「天皇の先祖」だけを指すものではないと思う。

 

書いてる間に熱くなって、なんだか深刻になってしまった。

わたしは日本が好きです。

最後のひとりになっても、祈りたいと思う。

たとえ無力な悪あがきにすぎなかったとしても、祈らずにはいられないと思う。


f:id:natsuberry:20181124010231j:image

 

 

 

 

 

 

正義ってやつは……

年上の友人が、短気でいつもプンプン怒っているわたしによく言ってくれる言葉。

 

「自分にとっての“正義”が、相手にとっての“正義”と同じとは限らないよ。自分の正義を相手に押しつけてはダメ!」

 

「あなたにとっての正義が、必ずしも彼女にとっての正義じゃない!」

 

うーん、毎回唸らされる名言だ。

だけど、わたしもしょっちゅうプンプンしてるから、しょっちゅう同じことを言われる。

有り難いことだ。

言い続けてほしい。

怒りんぼなわたしは、ついつい暴走してしまうからね。

 

昔から、無駄な正義感止まらないやっかいな性格なもんで。無駄にエネルギーを使っては、クタクタに疲れてから「は!またやっちまったーΣ(゚Д゚)」って気づくんだよね。スマートな人になりたいぜ。

 

ちなみに、昔ネットにおちてた無料の性格診断で、スラムダンクバージョンがあってね。

わたしなんと、「魚住」だったんだよー(^o^;)

魚住って、あの魚住?!!顔が、顔がー(*_*;

魚住って、赤木先輩に「お前は泥にまみれろよ!」とか言っちゃう泥臭いインパクトのあるお顔立ちのナイスガイなんだけどね。

もう、悲しいやら笑えるやらの結果だったことを覚えているわ。

どーでもいー話(笑)

 


f:id:natsuberry:20181123193212j:image

今日のピカイチ!

秋の写真大賞受賞作品(自称)

 

今日はいいお天気の、気持ちのいい一日でした。

この景色見ながら500円で買った熱燗ベンチで飲んだの。最高過ぎたー✨

我ながらなんて正しい休日の使い方!!

満月がとてもきれい。

 

 

秋の公園にて


友達の家の近くの広い公園をお散歩した。

すんごーく楽しかった!

公園でこんなに興奮したり喜んだりできる自分って、幸せなヤツだな。って思う。

 

お散歩写真行きまーす!


f:id:natsuberry:20181121175955j:image

かさこそ落ち葉!

素敵な落ち葉の敷き詰め具合!


f:id:natsuberry:20181121180033j:image

 

この金色に枯れた感じが好き。


f:id:natsuberry:20181121180100j:image

きれーだなぁ。

まるでミレーの絵のようだ。


f:id:natsuberry:20181121180148j:image

朝の木立の清々しさよ……。


f:id:natsuberry:20181121180240j:image

裸足で落ち葉を歩いちゃったー!

幸せ〜(*´∀`)

すんごくやりたかったことだよ、最近。


f:id:natsuberry:20181121180340j:image

たんぽぽの仲間?

光っててかわいいなぁ。


f:id:natsuberry:20181121180414j:image

後ろ姿もとっても可憐。


f:id:natsuberry:20181121180426j:image

芝生に映るシルエット。


f:id:natsuberry:20181121180521j:image

寝転んで見る緑。


f:id:natsuberry:20181121180546j:image

なんだかファンタジックな階段!

絵本の中みたいじゃない?


f:id:natsuberry:20181121180619j:image

折れた木がオブジェのよう。


f:id:natsuberry:20181121180656j:image

赤い実が好き過ぎる!

鈴なり!!

クロガネモチっていうんだ!

可愛すぎて萌えまくりなのに、写真では全然伝わらなくて無念!


f:id:natsuberry:20181121180756j:image

クリスマス全開だったよ🎄

 

お散歩して、しゃべって、最高に楽しい日だったー\(^o^)/

 

お金がいっぱいなくても、自然と仲良しの友達がいたらこんなに幸せなんだなあ。

はぁ、ありがたいや(*^_^*)

グチったっていいや!

はい!

前回のグチの、話の続き。

 

今日、職場の同僚にグチっちゃったー。

黙ってたほうが、不満とかぐちとか言わないほうが、人として素晴らしい!

スピリチュアル的にはNGなグチや不満や悪口。

 

でも、言えばスッキリするってのが女ってもんなのよ!!

イジメは絶対によくないけど、やっぱ言われても仕方ないことを沸点を超えてやってはいかん!わたしは、黙ってヤラれてるタマじゃないんだな、残念ながら。

 

いいか悪いかで言ったら、言わないほうがいいのはわかる。

でも、腹でフツフツいつまでも思って、黒いマグマたまってくんなら、早々吐いてその場でスッキリしたほうがいいや。

なんか、いい人でいたい自分の期待に答えられなくて、言いたいほうのわたしが自然なわたしなんだもん。

 

信頼できる人にグチったら、あとはいつまでもは言わない!

その人を悪者にしていつまでもそのネタで場をもたせるのは本意ではない。

 

ためないうちにグチって、すっきりして祓い清めだーい( ・ิω・ิ)

と、自分を納得させる言い訳をこねてみましたとさ。

 

ずるい女

ごめんね。

今日は悪いけど愚痴です。

 

世の中には、ズルい人がいる。

どこに行ってもまあだいたいいる。

わたしは、ズルい人が嫌いです。

人によって態度を変える人が本当に苦手。

無理〜!って思う。

恥ずかしくないのか、オマエは!!

人によってコロコロ態度変わる人、もうホントーに大ッ嫌いヽ(`Д´)ノ

 

この人の前ではエラソーにして威張って仕事サボるけど、あの人の前ではへこへこよく働いてみせる。そんで人のことはあーだこーだ言う。

申し訳ないけど、反吐が出る。

育ちが悪いので、言葉が汚くてすんません(笑)

 

気にしても仕方ないし、自分は自分に集中するしかない。ってわかってるけどさ。

イライラするんだもん!

とばっちり食うしさぁ。

 

自分に甘く人に厳しくのお手本みたいな行動はやめてよねー。いい大人なんだから、ちゃんとしようよ!と思って、ストレス溜まって、ついついブログで吐いちゃうわ。

 

外のことに影響されないようにするって、難しい。だってわたし、仙人でも聖人でもない、ただの怒りっぽい人間だもん。

 

人は蒔いた種を遅かれ早かれ刈り取ることになる。と、わかっちゃいるけどさー。

苛ついちまう、修行の足りないメンタルなんです。あーあ