深呼吸図書館

悩めるあなたのための1冊アドバイザー“なついちご”が、今のあなたの気分にぴったりの本紹介します。

ゴン太のこと

ゴン太が死んでしまった。

昨日亡くなったらしい。

 

母の実家で飼っていたおじいちゃん犬。

母からそのメールがさっき来て、びっくりするくらいに泣けて泣けて仕方ない。

ゴン太は寂しいヤツだったので、わたしくらいはちゃんと覚えていてあげたい。

年に1回か2回、もしくはそれより少ない回数しか会えなかったけど、わたしはあのこが大好きだったし、あのこもわたしを大好きだった。

 

行けば、日帰りで時間がなくても、できる限り散歩に連れて行った。

ゴン太もそれがわかってるから、わたしがいつまでも家の中から出てこないと、ものすごぉ~くうらめしそうな顔でじとーっとこっちを見て、何度も吠えた。

 

わたしは、人生の中であんなに手放しで、「あなたが好き!会えてうれしい!!」って迎えてもらえたことってないと思う。

それくらい、たまにしか会えないのにいつもいつも全開で歓迎して喜んでくれた。

 

母の実家は叔父さんが亡くなり、叔母さんといとこが二人で住んでいるが、二人とも仕事が忙しく、ほとんど日中家にいない。

ゴン太は、田舎らしく完全な「番犬」で、「屋敷犬」なので、決して家に上げることはなかった。そして、誰も散歩に行くひまがないので、田舎の家の広い敷地の一角に、ロープを長く張って、そこに鎖でつないで、ある程度自由に動けるようにして昼は過ごしていた。

 

わたしは、父が亡くなったあとのうつろな期間を本当にごん太に救われたと思っているし、今も感謝している。

自分に自信がなくて、人が怖くて、社会が怖くてどうしようもなかったとき、ゴン太と散歩しているときは素の自分でいられたし、くつろげた。

ゴン太もわたしもお互い寂しい同志なのがわかってたから、一緒にいるだけでとてもなぐさめられた。あのこは、とてもやさしくて、慎み深くて、聞き分けの良い子だった。

散歩でほかの家のバカ犬に吠えられても決して吠え返さなかった。

家につないでいるときも、人が来た時だけ泣いて、無駄吠えはしなかった。

 

だから、余計になんだかかわいそうだった。

いつも、寂しそうだったから。

 

わたしは、元気になってからも、ゴン太への感謝を忘れてない。

もう一度、会いたかった。

ここ何年かは、よぼよぼになってきてて、散歩の途中も足が止まってつらそうだった。

だけど、帰ってきて新しい水を入れてあげると、わたしのほうを見上げて、ペロッと手をなめるのだった。

 

あのときのゴン太の目。

「ありがとうね~!」という静かで深い目。

ゴン太は、どこからかもらってきたただの雑種だったし、家族がいっぱいいて家の中で年がら年中かわいがってもらえるような犬ではなかったけど、わたしには特別な犬でした。

 

最後に会いにいってあげなくてごめん。

わたしも、あんたが大好きだったよ。

何年後かわからないけど、わたしが死ぬときは迎えに来てね。

あんたは絶対に天国に行ける犬だから、わたしも天国に行けるようにがんばるからね。

 

ゴン太、寂しいよ。

ゴン太、どうもありがとう。

本当に、ありがとう。

ゴン太、

がんに関する記事の紹介

わたしもまだ、きっちりしっかり読み込んではいないけれど、

がん以外の人にも生きていく上でのヒントになるかな。と思った記事だったので、

貼っておきます。

 

blog.goo.ne.jp

 

わたしには、意識次第でどんな重病の人も治るのかどうかわからない。

もしそれが本当だとして、それは一定の決まった手順を踏めば万人にできるものなのか。

 

あと、わたしは、治らなかった側の家族なので。

「生きたくても生きたくても病気が悪化して死んでいく人」を最後まで見てきた側の人間なので、簡単には「治った人」の意見を信じる気になれない。自分が奇跡的に治った側の人間だったら、たぶんそれを100%信じて、嬉々として人に言いまわったりしたのかな。想像できないな。そういう側の人たちの言葉に、治らなかった人たちはとても傷ついていると。そんなことにも気づかず得意になって言いまわったのかな。

 

奇跡的に治った人たちの後ろには、その何倍も、何百万倍もの、治らなかった人たちがいることを、どうか忘れないでほしい。

みんな、生きたかった人たちで、最後まで生きようとした人たちだったと思うよ。

いろいろ方法だって、試したと思うよ。

子供を残しては死ねない。と思いながら死んでいったお母さんも、たくさんたくさんいると思う。ましてやその家族となれば、数えきれないほどだろう。

 

治った人は、その人たちと何が違うのか。

そのことをわたしは、感情的にならず、少しずつ分析していけたらな、と思います。

 

がんは、十人十色です。

Aさんに劇的に効いたからって、Bさんにもそれが劇的に効くわけではありません。

だから、Aさんは、自分が助かったからって、自分が治ったからって、得意になってそれをまだ苦しんでいるBさんに勧めたりしないでほしい。アドバイスとしてはいいかもしれないけど、「勝者として」の立場から、強気で自信満々に言ったりしないで。

わたしは、それをされたときの気持ちを、今も忘れられない。

飲めば生き返る核酸。そんなもの、あるわけないでしょ。

でも、説明書きには当たり前のように死者が生き返ったシーンが書かれていて気持ち悪かった。そんなクソみたいな人間のクズみたいな、弱いものにつけこむやつらを、信じちゃだめだ。どんなにすがりたくても。

 

父が亡くなって、4月で丸9年になります。

わたしはわたしの役割に向かわなくちゃ。

生かされてる命だ。

死にたい、と弱気になって思うことがあっても、体は生きている。

それは、自分以外の存在に生かされている、ということ。

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ダメでもいいじゃん、楽しくいこーよ!

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ふとした瞬間に、なんとなーく心に湧いてきた言葉。

うん。今年はこれで行こう!

なんか、ちゃんとしなきゃ。みんなみたいに。と思いすぎてた。

でも、この前友達に占ってもらったときに出ていたのは「隠者」のカード。

自分の道を追求!やりたいことをやれ!隠者が出た場合は、誰かと。じゃない。

黙々と一人で。変態的に(笑)

ちなみに写真はこの間行った、大洗磯前神社の駐車場にあった石。

なーんの標識も出てなかったけど。風がくるくる吹いて、光がきれいに照って、なんだか喜ばれているような気がしました。気のせいか?(笑)烏帽子巌神社。というらしい。磐が神様なのです。古神道萌え!

わたしにとって、茨城の大洗、そして那珂湊の平磯の海は子供の頃毎年遊んだ母なる海。冬から春にかけての海、って真夏の海より好きかもしれないです。

 

本一冊昨日読み終わったんだけど、あっさり系じゃなくてじっくり系のやつだったんで、また日を改めて書きます。

ここんとこ、テレビのニュースはトランプさんか、豊洲かですね。

なんだか、言いようのないこのモヤモヤ感。

でも、問題が明るみに出てきた。というだけなのかもしれないし、新しく変わる前には古い膿を出すのが必要なのかな。と思ったりもする。

 

節分。季節を分ける。立春

ネット上のいくつかのサイトに、鬼とは民の罪を背負って封じられた国常立神(くにとこたちのかみ)様。であり、中央政権に滅ぼされた古代日本の地方の民ではないか。という見解が出ていて、興味深く読んでいます。わたしの先生のマリア先生もそう言ってました。わたしは、日月神示に載っていてる節分祝詞が大好き。

美しい日本語のリズム。小学校とか中学校で、毎朝祝詞読めばいいのにね。

やっぱり、日本語は、「音」なのですね。

音読しているとそれが本当によくわかる。

昔、「声に出して読みたい日本語」みたいな本そういえばあったもんね。

 

この間母とディズニーランド行ったときに思ったんだけどさ、

やっぱ人生は、それがどんな役であれ、「自分に与えられた役を演じきる」ことが大事なんだな。「やりきる!!」ってことの美しさを、なんだかしみじみ感じちゃったのよね。それを思ったのは、ショーで悪役の人の演技を見てた時。

 

きれいなお姫様でもない悪役のへんてこな衣装だったり、顔も見えないような役でも重要で、やっぱり演じきっている人には自然と目が行っちゃうのよ。大事なのは、なんの役かじゃなくて、その役に取り組む姿勢なんだな。わかっているようで、わかっていなかった気がする。

やりきっている人はさ。それがどんな役であろうとやっぱり輝く。輝いて見える。

そんなことを、教えてもらった気がするなあ。

 

ちなみにその日のディズニーは過去最高レベルに空いていて、乗り物乗り放題。パレード先頭で見放題。一番待ったアトラクションで30分。大好きなビックサンダーマウンテンに4回乗れてもうストレスは全部あの山に置いてきました(笑)

 

さて最後に、昨日またまた大好物のサイトを発見しちゃったんでシェアしまーす。

わたしはこの記事を読んで、むむ。おぬし、やるな!(えらそう、笑)と思ったよ。

ほかの記事もアホで、でも深くて面白かったでーす。

 

この方みたいな人が、真の意味での「霊的真実」にたどりついた人であり、

あくまで普通の感覚、普通の生活をしながら、神様ともつながっているような、一番徳の高い、上の人から喜ばれる生き方なんじゃないかな。と思ったりする。

年上の方に向かってえらそうですね。

でも、昨日明け方までハマって過去記事読みまくってて、感動してしまったのだ。

素直で、あたたかく、謙虚。そして、愛すべきおバカ。

そんな人があたしは好きだし、そんな人になれたらいいな。と憧れます。

いやー、まとまりないね(笑)

でも、少し、ヤミコさんに感化されて、もう少しくだけてブログ書いてもいいかもな。っと思ったので、書いてみました。なにごとも挑戦あるのみ!

yamiko835.blog.fc2.com

もち・燃える

 数日前から、土曜の朝はおしるこにするぞぉ~!と、ルンルン計画を練っていた。

正月のあまりの餅が冷蔵庫に2つ残ってたもんで。去年特売で買っといたあんこもあったし。そんで、魚焼きグリルで餅を焼きながら部屋の掃除をしていた。

すると、グリルの中からきれいな炎が見えるではないか!!

ぎゃぴー(;´Д`)

餅、黒焦げやあ!

さらに、焦げをとろうと、あんこを入れる前に餅をゆでたらなんだかぐっちょぐちょになってしもうた。その、もはや原型を留めていないぐちょぐちょを、一度まな板に取り出してから、焦げだらけのお湯を取り換えてあんこを投入し、でろでろした一つの塊と化した餅を流し入れる。うける。汚い(笑)

 

でもいいや。味はおいしかった。

しかし、自分のどこまでも料理に対してがさつな性格に、もはや笑うしかない休日でした。

淡いピンクとベージュと少しゴールド

最近好きだな。としみじみ思う色。

淡いピンクとベージュ。アイボリーとゴールド。

ここんとこ、色とか香りとか、音楽のもつ波動について考えている。

 

昨日夕方から炊いたアロマのローズマリーが効きすぎちゃったのか、今日は仕事だってのにギンギンに覚醒しちゃってるよ。昨日は一日家にいたので、なんとなく「かもめ食堂」のDVDを見ていた。ああ、好きすぎるな~。何回見てもいいわぁ。と一人映画の世界に浸る。なんでもかんでも目的とか。効率よくとか、がんばるとか。そういうの全部うざったくなったときにこの映画を見るとほんとにほっとする。

 

だって登場人物全員所在ない人たちばっかなんだもん。

ふ~らふらゆ~らゆら。人生休憩中の迷える子羊たち。しかもいい年した大人。もうめっちゃ安心するよね。あ、自分だけじゃないじゃん、って(笑)フィンランドは本当に好きな国。いつか住みたいくらい好き。映画の中に出てくるみなさんのファッションチェックや、お店のインテリア、食器を見てるだけでも幸せになれる。何より、愛をこめて丁寧に作られたごはんが本当においしそうで、よだれがたら~りたれそうになる。

 

もたいまさこが森でキノコを狩るシーンの映像がひたすら美しく、神々しい。

非日常に癒される。また、自分の人生の日常に戻ってがんばるための休憩にはぴったりの映画だと思います。

 

 

かもめ食堂 [DVD]

かもめ食堂 [DVD]

 

 

佐藤多佳子「黄色い目の魚」

森絵都さんと並んでわたしの神様の一人、佐藤多佳子さん。

その中でも一番好きかもしれない一冊。それが「黄色い目の魚」

 

黄色い目の魚 (新潮文庫)

黄色い目の魚 (新潮文庫)

 

 

大人なのに中学生みたく、高校生みたくナイーブな気持ちを持て余すとき、自分が嫌いで泣きたいとき、何度も何度も読み返してきた本。

ひねくれ者で、不器用で、どうしようもなくとんがっちゃってる女の子、「村田みのり」と同級生の絵を描くのが得意な男の子、「木島」が変わりばんこに語り手となってストーリを展開していく。わたしは、みのりが本当に好き。まっすぐで、ぶつかってばかりだけど、嘘がない。前半の彼女と、後半の彼女はまるで別人だ。人との出会いって、人から受ける影響ってすごいんだな。と思う。特に、思春期にどんな人に出会うかによって、その人の人生は大きく変わるんだな。としみじみする。

 

佐藤多佳子さんは、話し言葉ですらすら物語を展開していくのが本当に上手だ。

みのりも木島も、基本的にやる気のなさそうな、力の抜けたひょうひょうとした話し方をする。それが、ほっとできてとても好き。

登場人物がみんな、強烈な個性をもつ魅力的な人ばかりなのもこのお話の見どころの一つ。

 

好きなシーンや、セリフがありすぎて、本にはしおりがはさまりまくり。

勇気をもらえる本。

 

ランダムに好きなシーンを抜き出しますね。

 

p275

いい顔になりたいーーーーふと思った。

もっとキレイになれるといい。目や鼻や口のことだけじゃなくて、それらが作り出す表情、表情を作り出す心。もっとキレイな心になりたい。木島の描く寒い世界の中でリンと明るく光っていられるようないい顔になりたい。

 

p336

俺は赤く染まりだした西の空に目をやった。胸の奥がかすかにうずく。

「好きなことをやるんだ」

おじいちゃんは言った。

「最後は自分だけだ。誰かのせいにしたらいけない」

その言葉は、重く、強く、厳しく、俺の心と身体を貫いて、背筋をピンとさせた。

ーーー最後は自分だけだ。

 

おととい、母と江の島に行ってきた。

江ノ電に乗って、鎌倉高校前で降りて、七里ヶ浜まで歩いた。

晴れた冬の海。穏やかな白い波。遠くに富士山が見える。

鎌倉の小町通に寄ってから藤沢まで江ノ電に乗って帰る途中、車窓から見えた海は夕焼けに染まっていた。とても美しい夕暮れ。今にも沈みそうな夕日。

胸がいっぱいになった。幸せだと思った。この光景が見られて。

 

p435

江ノ電が腰越を出て左にカーブを曲がったとたん、相模湾が車窓いっぱいに広がる。胸がすくほどデカい景色だ。ここが七里ヶ浜だ。よく晴れていて、サーファーの姿も見える村田があそこにいるかもしれないって思うと、じっと座っていられなくなり、ドアの近くまで行って外を眺めた。観光客みたいだよ。

 

鎌倉高校前の次の駅が七里ヶ浜だ。電車が止まると緊張した。プラットフォームに村田の姿はなかったどうしよう?村田んチからここまでは三十分かからない。俺は二時間近くかけてやってきた。だからって、俺のが後とは限らないんだけど。なんか、ここで待っていても無駄な気がする。ただの勘だけど、駅じゃない、海だろう。村田の言う「七里ヶ浜」って。

               ・・・・抜粋終了

 

「黄色い目の魚」の中には江ノ電の駅がたくさん出てきて、その鎌倉の風景が物語に深みを持たせている。七里ヶ浜は、このお話の終盤、クライマックスでみのりと木島が再開する舞台として登場する場所。こんなところで高校生の青春してみたかったよね(涙)

 

ちなみに、同じようなことを「ザ・オタク代表」の三浦しをん氏もエッセイの中でおっしゃっています。鎌倉高校って、スラムダンク湘北高校のモデルとなった高校らしいですわよ。

 

話が逸れましたが、人間嫌いで、人付き合いにもう嫌になっちゃってる人がいたら、ぜひこの本を読んでみてほしいと思います。

 

今年も懲りずに怪しい本を・・・

また怪しげな本を買ってしまった。200円だからって、つい。

山田久延彦「神々の医学」

いつ読み終わるかわからんけど、感想読み終えたら書きますね。

 

昨日、ある人のおかげで、ずっとずっともやもやして苦しかった気持ちが吹っ切れた。

具体的にどう動いていくか、まだ決められてないけど、がんばろうと思う。

ヒプノはやっぱりすごい。

すっきり感が半端ない。

 

有難いな。一人では立ち直れなかったと思う。感謝。

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