伊雑宮。
2年前に一度来て。
今回が二度目。
素朴ないい神社だ。
わたしは本殿にはとくになにも感じないけど、この土地の清浄さと自然のなかに神さまを感じる。
自然のなかにあるとき。
わたしたちはそのなかに抱かれた一部であり、ぜんぶである。ということ。
へだてはない。
死んで腐れば土に還って微生物に分解され、ほかの生物の栄養となり、また命を生み出す。
その流れのなかにいるとき。
わたしたちはぜんぶになる。
分けられない。
一部であり全部なんだ。
B'zの歌詞のように(笑)
その循環と調和。
完璧なまでの無駄のなさ。
巡るいのちの営みを、「かみ」と呼ぶのだと思う。
ここに来て思うのはいつもそのこと。
メッセージはとてもシンプルだ。
わたしがいつもがんじがらめになってる「自我」についての気づき。
ただただ静けさのなかで木の葉が静かに舞い降りてくるのを見つめていると。その葉が音もなくきれいな緑の苔に着地するのを見つめていると。
心のなかに声が聞こえる。
「それ以上でも、それ以下でもない」
神さまは、なにか特定のものをさすのではない。ここにある全てに神の息吹が宿っている。風に。光に。苔に。落ち葉に。池に。木に。
なにもかも、あるがままに美しく。
石も木も、だれも自分をよく見せよう!とか嫌われたらどうしよう!とか思ってない。
ただ、そのままで、ある。
そのことがこんなにも清々しくて美しく、調和している。
矢追日聖さんが何度もおっしゃっていること。劣等感も優越感も超えた場所。ふたつは、自分に興味がありすぎる!という点で結局は同じこと。わかっているのに、はまりこんでなかなか抜けられない。
自然か。
不自然か。
判断基準って、たぶんそれだけでいいのにね。
自分の心に嘘がないこと。
神さまからいただいた分け御霊。
粗末にしすぎてた。
反省。
自分!自分!が暴走したときに、静かに唱えるよ。
それ以上でも、それ以下でもない。
神のまにまに・・・・