戦争にはルールがある。
その最たるものは、「民間人は殺さない」
ということ。
アメリカは、原爆投下において、このルールを明確に破っている。
でも、誰も表立って声高には批判しない。
おかしくない??
そして、毎年毎年NHKを筆頭に繰り返される、
「戦争は、原爆は、こんなにも悲惨でひどいものだから、繰り返してはいけない」
「でもね・・・原爆は落とさないと戦争が終わらなかったんだから、アメリカは悪くないよ?」
とでも言いたげな筋書きの番組構成。
胸糞が悪くなる。
いや。どう考えても、世界に類を見ない罪もない民間人の大虐殺ですよ?
いつまで正当化が許されるの?
しかもそれだけでなくわたしたち日本人は、自虐に塗りこめられた
「原爆は落とさないと日本が降伏しないから悪かった。だから戦争を終わらせるために原爆は必要だったのだ」というバカの一つ覚えのような文言を、75年経ってもくりかえし聞かされ、信じ込まされている。
これを洗脳と言わずになんというのか?
アメリカでの原爆の歴史。
本は買ってあるけど、まだ読めていない。
アメリカは、せっかくつくった原爆を実験したかったんですよ。
その口実に日本を使ったんだよ。
「黄色いサル」たちを、同じ人間とは見なしていなかった。
わたしはそれは、事実だと思っています。
原爆で亡くなった日本人は、
広島では約23万7千人。
長崎では約8万人。
2019年8月時点では、被爆の後遺症で亡くなった方を含めると、広島長崎合わせて50万人を超える人が亡くなったとされる。
50万・・・。
50万の人を、人類史上類を見ない残虐な方法で殺した相手に、わたしたちは多額の「思いやり予算」を払い、言われるがままにポンコツな巨額のミサイルを買い、核の傘に守られて今も生きている。
原爆を落とさなくても戦争は終わった。
わたしはそういう立場でものを見ている。
あんな爆弾落としておいて、それでもそれを正当化し、詭弁を平気な顔で貫ける人の精神は理解できない。
「落とさないと終わらなかった」と言っている人たちは、きちんと公平な立場で歴史を検証した人たちなのだろうか。
わたしたちは、マスコミが垂れ流し、学校で教わった教科書にのせられた言葉を、そのまま鵜呑みにして信じてきてしまった。もちろんわたしもその一人。
じゃあ、「落とさなくても終わった」とする歴史認識をもつ、きちんと検証した人の言葉にどれだけ耳を傾け、意識を向けて来たかな。
ずっと、言われるがまま、あたりまえのように信じてきてしまった。
なんて、無念な気持ちだろう。
亡くなった方々は。
「戦争を終わらせるために仕方なかった」
なんじゃそりゃ?
いつまでそういい続けるんだろう?
75年も経ったのに。
「仕方なくない」よ!
なんにも仕方なくないよ!!
わたしは過激派なので、ひどい殺され方をした人の話を聞くと、
殺した側の人も、まったく同じやり方で、いたぶられて殺されればいい。
と、思ってしまう人間です。
同じやり方で、同じ苦しみを味わって死んでほしいって。
遺族だったら思いませんか?
許す。
とか、ない。
たぶん、あとどれだけ生まれ変わることになろうと、わたしは復讐に命をかけてしまう性格だと思う。
だからいつも、犯罪者と紙一重だな。
って、自分のこと思ってるよ。
たぶんそんなに違わないのよ。
でもね。
自殺も他殺も。
それを「考える」ことと「行動にうつす」ことの間には
大きくて深い川があると思う。
自分の中にある残虐性や、怒りに、いつも目を向けている。
ちゃんと見張っている。
平和を、自分のなかにつくる。
だから、もう戦争の番組はここ数年であまり見なくなりました。
前は、まじめ全開で「事実から目を背けず、ちゃんと勉強しよう」と思っていたのだけれど。
もう、誰の言いなりにもなりたくない。
苦しんで死んでいった人達に、「仕方ない」って思いたくない。
ふつうに考えて、50万人実験のために殺してる。って、おかしいですよ?
時代ってなんなんだろうね。
今まさに、その転換期にいるわたしたち。
たとえ生活が苦しくても、熱線に骨まで焼かれる心配のないわたしたち。
それぞれに、その時代でやりたいことがあったんだろうね。
わたしはなにをやるために生まれて来たんだろう。
原爆のない時代に。
それを、やらなくちゃ。