深呼吸図書館

悩めるあなたのための1冊アドバイザー“なついちご”が、今のあなたの気分にぴったりの本紹介します。

劣等感のカタマリ

いつの間にか、もうとっくに乗り越えたつもりでいた「劣等感」が、久しぶりに顔を出した。

 

昔は自分という人間を構成する成分の90%以上が「劣等感」だったと思う。

懐かしい顔なじみだが、まったく過去になっていなかった。

衝撃を受けた。

 

施術のことで、友達と昨日話してて、

「自分 自分 自分」ってなってることに気づかされた。

いざそれを正面から指摘されると、がーん。キッツぅ―(;´Д`)

って感じ。

 

ここんとこ、技術を高めるために、結構努力してたし。

ってか努力はずっとしてるんだけど。

講習にも通い、体の本も読み、仕事で試してがんばっていた。

技術が欲しかったから。

全てをはねのけてあまりある、有無を言わさぬ技術がほしかった。

 

なんかいっきに、なんのためにがんばってるのかわからなくなった。

 

わたしのがんばりって結局、

「誰かに」自分を認めてもらうための「代償行為」だったことに気づいた。

 

そもそも「癒し」って言葉が好きじゃないし、

「誰かのため」とかそんなに思っていない。

わたしには、圧倒的に「癒してあげたい優しい気持ち」が欠如している。

セラピストやってる人は、自分がボロボロになっても人に尽くしちゃうようなやさしい人も多い。

それが良いとか悪いとかじゃなくて、そういうのがわたしにはほとんどない。

基本、「自分のため」だし、技術を磨くのは純粋に楽しい。

 

とにかく誰にも何も言わせないだけの、ぐうの音も出なくさせるだけの、

「圧倒的な技術」がほしかった。

上手くなりたくて、結果の出せる人になりたくて、必死でやっていた。

結果が出したかった。

 

でも、「なんで?」って言われたら、なんでだったかわからなくなった。

そんで、考えた。

わかった。

 

わたし、社会の王道を生きている人たちに、自分を認めさせたかったんだ。

「対等」になりたくて必死だった。

これまでずっと、社会からはみ出してきたことが、悲しかったし、情けなかった。

なんてダメな人間なんだろうと思って、ずっと苦しかった。

もう10年以上前に、父を亡くして働けなくなったときに感じた強烈な「挫折感」と「絶望感」が、知らぬ間に今のわたしを突き動かしていたのかもしれない。

あのとき粉々に砕け散った自尊心を立て直すために、わたし、今度こそ誰にも何も言わせないほどの「圧倒的な実力」がほしかった。

 

あのとき社会からはじき出されて、本当につらかったから、生きている価値がないと思ったから、今やっと、社会とつながるためのマッサージという武器を手に入れて、わたし、「ダメじゃない」って、「生きてる価値がある」「社会でちゃんとやれてる」って思いたくてがんばってたのかもしれない。

でもそもそも、現実の世界では誰も、今のわたしを「ダメ」だとも「価値がない」とも思ってないのよ。たぶん。

あのときのわたしを救うための「代償行為」でしかない。

そこにマッサージを受ける側の人って、不在なんだよね。

もちろん、施術する時はちゃんと相手のこと考えてやってるけど、もっと深いところ。「技術を磨いて結果を出したい」というふつふつとした思いの出所についての話。

 

もうこんなに時間が経ったのに、あのときの強烈な挫折感と自己否定が、不安と恐怖がわたしのなかにまだ生々しく残っていることに気づいた。

自分は社会に適応してうまくやっていけない。

どうしよう。

これからどうやって生きて行ったらいいの。

わたしなんて、生きてる価値がない。

と、毎日毎日思って死にたかったあの頃。

 

思い出したらなんか泣けた。

よく、ここまで立て直したな。自分!と思った。

 

わたしは基本的に、生きてるのがつらい。

自分の中に、いつも葛藤があって苦しい。

社会の中でふつうにやれない。

でもたぶん、外からはそんなふうには見えない。

明るくて社交的な人だと思われていると思う。

 

あのときの自分を救いたくて、わたしがんばってきたのかもしれないな。

 

でも心の中ではいつもイライラしてるし、焦っている。

がんばってもがんばってもまだ「足りなくて」「報われない」感じがして、疲れ切ってる自分がいる。

だって、わたしよりすごい人はいくらでもいて、わたしはその人たちには追い付けない。わたしが進んだ分だけもっと、その人たちも進んでる。

そういう基準にとらわれていると、がんばってもがんばっても自分は「まだまだ足りないダメなまんま」に感じられて、ダメだしされるのに疲弊してきてる。

 

このままじゃダメだな。

 

結局動機が「不安と恐怖」なんだよ。

自分の顕在意識では「お互いの喜びのため!」と思ってたけど、それも嘘じゃないけど、圧倒的に「不安と恐怖」の占める比率がでかい。

「我」でいっぱいなんだよ。

 

それに気づいたら、

力が抜けた。

嫌になった。

疲れた。

 

人間として生まれて「我をなくす」って、死にたいほどつらいわ。

だってそもそも「我」しかないもん!

そんなことできやしないよ!と思う。

なのにチャレンジしなきゃいけないの?

嫌になってくる。

もう欲望に忠実なクソ人間でもよくない?

なんでわたしはこんなに、「よく」なりたいんだろう。

人間としても、性格も、考え方も、技術も。

「よく」なりたい。

でもそれが苦しい。

 

しばらく努力するのやめる。

なんか、ばからしい。

もっとおおらかで、気にしない、気にならない性格の人に生まれたかった。