梅雨入りしましたね!
低気圧が人に与える影響はほんとすごい。
わたしはもろにうけるタイプです。
だるさ、腰の痛さ、頭痛。
落ち込み。イライラ。
がんがんヤられます。
最近、中味のない文章しか書けないのには、実は自分なりの理由があって。
書けばただの、頭のおかしい勘違いした人の妄想みたくなっちゃうから、今までみたいに思ったことそのまま書けなくなっちゃった。
この1ヶ月くらい特にそれが顕著。
一言で言うと、
「日本は終わりだ」
「潰れる」
というのが頭に繰り返し浮かんで、腹の底からヤバイ感じがしてきて落ち着かない。
でも、そんなの人に言ったところでただの狂人の戯言にすぎない。
毎日のように3、2、1を時計で見る。
3、2、1は岩戸閉め。
未来。
10年後。
20年後。
30年後。
考えると怖い。
どうせ潰れるのなら、わたしはなにをすればいいの?
どう生きればいいの?
何をして生ききれば、合格してあっちの世界に帰れるのか。
わからなくて、もがいてる感じ。
そして、わけのわからない焦りが常にある。
胸騒ぎがして、落ち着かない。
この前の奈良の旅には実は続きがあって。
最後の日に、念願の紫陽花邑に行ってきました。 矢追日聖さんの作られた紫陽花邑。
事前にご連絡させてもらって、ご好意で邑人の方のお話を聞かせていただいた。
たぶん、ここ数年で一番行きたかった場所。
感動しました。
お話を伺えたことは、わたしの一生の宝だ。
ほんとうに、ありがたいことでした。
身近で、生の、本物の矢追さんと何十年も過ごされた方のお話は、ただただ素朴で、淡々としていて、すべてが実体験と日常に分かちがたく結びつき、いい感じにゆるく力が抜けていらした。鼻息荒く訪ねた自分がちょっと恥ずかしかった( ´△`)
かむながら。
というものの、実体を見せてもらった感じがする。
自然な佇まいに、まったく主張しない感じに、謙虚なあり方に、自然と頭を垂れてしまう。
こうあるべき!
から、なかなか離れられない自分。
落ち込んだり絶望したりしてしまう自分。
強く主張したくなってしまう自分。
批判したくなる自分。
何一つ、教え諭されたわけでも、お説教されたわけでもないのに、無言で、その人のあり方に導かれる。そんな体験をさせてもらった気がしています。
貴重な体験をさせていただいて、ありがとうございました。
ご存命のうちに、日聖さんにわたしもお会いしたかった。
真の信仰の対象になりうるのは、唯一、わたしたちを生かしている宇宙のエネルギーであり、この自然そのもの。
人間が信仰の対象にはなり得ない。
宗教は消費だから、本当に困っている人から金銭をもらうのは言語道断。
真の宗教人は、宗教以外のことで生計をたてるのがまっとうなあり方。
日本の神社に祀られているのはほとんどが人格神。つまり、古い時代に生きた、わたしたちと同じ人間だ。
自然神と人格神を分けて考えなさい。
と、日聖さんはおっしゃっている。
今回、奈良を旅して心からわかったことがある。
神とよばれるエネルギーは、その土地に宿るものだ。そしてそこで生きて暮らした人間たちの血筋と心の清められた者の信仰によって保たれる。
立派な社殿だから、ご利益があるわけではない。
龍泉寺でお参りしたときに、気のせいかもしれないけど、頭に入ってきたメッセージがあった。
「心の汚れた者の願いは、聞かない。届かない」
ならばわたしも、ひたすらに心を清めることに邁進せねばと思う。
こんなに、おこりんぼなのに道は険しいけど。
大倭の神々さま。
どうか、日本が守られますように。