今年いちばん心にとめておきたいのは、
素直であること。
それを改めて昨日ぼんやり考えていた。
素直で愛のある人を見ると、なんだか胸がぎゅっとなる。
わたしは歪んだひねくれモノだから、一番ほしいのは、素直さかもしれない。
憧れ、という言葉がぴったりくる。
誰かの素直でやさしい心に触れたとき、ふいに泣きそうになる自分がいる。
そんな人に、わたしもなりたいな。
大人になればなるほど、歪んでひねくれてしまうけど、年を重ねるほどに素直に身軽になってく女性って素敵だ。
考えてばかりで、がんじがらめで、行き詰まって。ただ素直に感じる。ということがわたしは苦手。
もがけばもがくほど泥沼にはまるのは、どの分野の人でも同じ。
この前金スマでキンタローとロペスの社交ダンス最終回をかぶりつきで見た。合宿中、二人が先生のお手本のダンスを見た後に踊ったダンス。音楽を感じて、音楽を味方にして踊るということ。それが、表現。
二人の憑き物が落ちたような、解放されたような、晴れやかなダンスを見ていたら、涙が止まらなくなった。ダンスを見て泣くことなんて、何年ぶりだろう。たぶん、ずっと忘れられない。とても、心に残る、人を感動させるダンスだった。
踊り終わったあとに、キンタローが「技術ばっかり追い求めて、苦しくて、なんでこんなに苦しいんだろうって思っていたけど、今のは自由に楽しく踊れた。」と言っていた。
泣けた。
感じる、ってこと。
真剣に何かを追い求めれば追い求めるほど、気づいたら忘れてしまう。
あと、昨日のぴったんこカンカンでやっていた市原悦子さんの追悼番組。
番組の中で、安住アナが、市原さんは声の種類なん種類くらい出せるのかと聞いていた。
市原さんは、そんなこと考えたことない!と答えていた。
ただ、その対象に「心を寄せるの」と静かに言った。対象となるそのものが、悲しいのか楽しいのか。疲れてるのか生き生きしてるのか。「イメージして、心を寄せると、声が聞こえてくる」とおっしゃった。
深いなぁ。としみじみした。
わたしはものごころついた頃から市原悦子さんが大好きだったから、亡くなってとても寂しい。でも、彼女の声は永遠に残るのだな。と感じた。
本物はちゃんと伝わるんだな。
どんな時代でも、どんな状況になっても。
真面目にやらなきゃ!
頑張らなきゃ!
人によく思われなきゃ!
うまくやりたい!
わたしってなんてダメなんだろう…。
日々、生きてるといろいろなことを考えっぱなし。
だから、意識しないと忘れてしまう。
感じることを。
ただ、空っぽになって、感じる。
それだけのことが、わたしたちを本来もっているはずの力に導く。