職場の人と今日話していた話と、いつも読んでいる方のブログで書かれていたことが思い切りかぶっていて驚いた。
キーワードは「インナーチャイルド」「自己評価の低さ」「ダメ夫」
話せば話すほど、問題は一つの核心へとたどりつくような気がしてならない。
「自己評価の低さ」「ゆがんだ自己像」
それが、自分を粗末に扱ってくる不幸せな人間関係を生み、そこから抜けられない悪循環を生む。
ヒプノセラピーを学んでいた時に、マリア先生が言った言葉で忘れられないひと言がある。
《「わたしなんか」が「おまえなんか」を引き寄せる。》
そこに客観性など一切ない。
腹の底で「自分が自分をどう思っているか」が鏡のように表されてくる。
「わたしなんかと結婚してれる人はこの人しかいない!」とか「あの人もよくないところはあるけど、わたしなんかと付き合ってくれてるから」とか。
モラハラやDVにあっている人ほど、「でもわたしにも悪いところがあったから」と言って離れられない傾向が非常に強いと感じる。
そこに、中立的な、客観的な目線から見たその人自身の「人格」とか、微塵も関係ないんだと思う。
ただただ、その人自身が自分をどう思っているかがすべてだ。
そして、本人がそのことに気がつけるかどうかがすべて。
自分を大切に扱ってくれない相手となぜ一緒にいるのか。
自分が大切にされない状況をなぜ受け入れ続けるのか。
「自分には価値がない」って思っているからじゃない?
本当に愛されて育ってきた人、健全な家庭環境で育った人は、自分を粗末に扱う人への「NO」が、たぶん自然と言える。
それは、つまり “ わたしは、あなたが粗末に扱っていいような人間ではありません ” という意思表示であり、「自尊感情」だ。
でも育ってきた家庭に問題があった人は、それが言えない場合が多い気がする。
尽くしても尽くしても報われないのはなんで?って思ってる。
それはたぶん、子供の頃に傷つけられたりいろんな事情で育ててこられなかった「自尊感情」が足りないから。
「自己肯定感」と言いかえてもいい。
笑っていても目が苦しそうな人と会うと、その人が少しでもその苦しみから解放される術を身につけることができますように。と思わずにはいられない。
みんな、大人になってからも、ぼけた老人になってからでさえも、自分がほしかったのに「親から」もらえなかったものをもらおうとして必死なんだなぁ。切なくなるね。
矢追日聖さんが書かれていた文章でとても心に残っている言葉。
「自尊、自知、自制、
この3つのもののみが
人生を最高の力へ導く」
自分を救えるのは自分だけだと、繰り返し考える。