深呼吸図書館

悩めるあなたのための1冊アドバイザー“なついちご”が、今のあなたの気分にぴったりの本紹介します。

矢追日聖「やわらぎの黙示・1」

 

やわらぎの黙示 (ことむけやはす 1)

やわらぎの黙示 (ことむけやはす 1)

 

 

いままでわたし、20年くらいにわたって様々な自己啓発本、スピリチュアル本、霊的な本やブログを含めて数知れず読んできた。

その中で、腹の底から「真実」だと思った言葉。

それは、前にも書いた通り、「矢追日聖」さんの教えのなかにありました。

 

何度も言うけどわたしは「宗教」が好きではない。アレルギーと言ってもいいほどその言葉に拒否反応が出る。でも、「神道」は宗教ではない。日本人の「精神文化」であり「伝統」であり、日本という国の「国体そのもの」だと思う。「祓い清めの精神」「日本人独特の清浄感」は、わたしたちのDNAに組み込まれている。意識する、しないに関わらず。

それが「血」の中に「ある」ということは、本人が忘れていたとしてもなにかのきっかけで「めざめて」「働く」可能性が「ある」と思う。

 

日聖さんは、行きがかり上「宗教」ということで活動されたが、「信者は一人もいらない」と言っているし、あくまで「幸せになるための心のあり方」を「古き良き大和の国」を手本に皆に説かれた。

 

その思想が興味のある人に一人でも多く広まることを願って、今回「やわらぎの黙示」から大幅に文章をお借りしたいと思います。読みやすいように適宜改行して引用します。関係者の方、不都合があればすぐ対処いたしますので、その際お申し付けください。

 

p173~

 悪因縁の浄化を

 

 広く世間を見渡せば、男性や女性の数が何時の時代にあっても大体バランスがとれているように思うのだが、個人家庭を見れば男子だけとか女子だけといった家があるのに、社会全体から眺めればうまく調和がとれているのは面白い現象である。両親の意志にしたがって、男女は生まれるものではないのだから、人間以外のところで全体の調和を考えながら計画している、超人間的な何ものかが存在しているに違いない、といった神秘的なものを若い頃の私はひしひし身に感じていた。。

 

過去の歴史が示す流れの一齣(ひとこま)は、人間の意志で作りなすものには相違ないが、全体の歴史の流れは人間の作為ではないのである。

 

私は人類の歩みについても唯物史観一辺倒ではどうも偏見のような気がしてならない。流れてきた現界の実相が人類の歴史であり、無常に流している力が霊界にある神慮と観るのが私の癖である。とは言え、霊界と現界は切り離すことはできない。互いに交流しながら一体となって、因・縁・果・報といった働きの関連性を具備しながら、何一つ漏らすことなく同じ原理にしたがって、たえず休まず繰り返しつつ、神意が示す未来像に近づくように今の今も転化しつつある。

 

大きくは宇宙から始まって、小さくは人間個人否肉体を構成している単細胞一個に至るまで、神意に基づいて動いているといえるのである。

 

 世にある多くの人々は、戦争も起こらないし、人と人とが喧嘩もしない、そして自由にして住み心地よい社会の出現を望んでいることと思う。私もその一人である。

 

過去の人の中にもこうした社会を夢みて死んでいった人達もあったはずである。それなのにどうしたことか、歯車の嚙み合わない機械が回転しているような現社会の実状は、せいてはどうすることもできないようだ。長い目で見よう。将来において出現する理想社会が生まれるような原因を、これからでもよい、自覚したものから下種しても遅くはないのである。

 

「戦争反対、平和建設」の声、現社会にあって耳にする言葉の中でこれほど嬉しく響くものはないのである。もし社会の人達が、真にこれを望むならば、現代人の多くの人々が心の中にもっている「人を呪う心、怒る心、人に頼る心、人と争う心」などを神ながらの法に基づいて練磨修養し、各自が放つ霊波長まず第一に浄化することが基礎的条件であると思う。かりにもせよ、自分から発した悪想念(霊波長)は邪霊的威力をもってふたたび自分のもとに帰ってくるのだから、その結果は自他ともに不幸に陥って、社会の浄化はおろかかえって悪循環を繰り返して、更には住み難い社会を招来することになる。

 

 以上、ふつつかな説明ではあったが、それらの意味においての因果関係の繰り返しによって、今のような社会が生まれたのである。ぼつぼつと過去世の悪因縁をほぐしながら、顕幽にまたがった浄化に努めなければなるまい。

 

 世には生まれ変わりということがよく言われているが、過去に亡くなった人がそのまま生まれ変わるということはない。あくまでも亡くなった人の霊魂は厳然と霊界に存在しているのである。だが今の日本の社会の権力者や指導階級の座にある多くの人々の中には、平安時代の源平両族から始まって、戦国時代に至る各武将やこれに類する人達の殆ど鎮魂浄化しないままの気を受け継いでいる人が多くいる。闘争に明け暮れ、魂魄この世に残して他界した者は、死後の世界においても争いの連続である。霊界の司は人間界においてそうした心を浄化させる親心をもってこの世に出てくることを許したのであるが、ひとたび誰かの肉体に宿れば、この甚深微妙な親心をすっかり忘れて、再び過去世の悪因縁を繰り返そうと努めるようになる。こうした想念が太平洋戦争にまで拡大したのも自然の成り行きである。ついに敗戦という浄化剤を神から賜った。

 

 次に気になることは、今次の戦いで死亡した幾万の世界の人々が霊界ではかなりの苦しみをもっていることである。しかし幸いなことには、これか世界立て直しの神政が始まる時代だから再びこの世に出る機会は早いと思う。そうなれば一応世界は平和どころか、かえって闘争の場となるのは必然である。平和を目標に進んでいるはずのものが、戦争を引き起こす原因に転化していくような不思議な流れに、抵抗しながらも押し流されることであろうと思う。

 

 まことに憂うべきこのような事態に備えて、霊界では何回かこの世に生まれて真の平和社会と人類の幸福に生涯をかけて祈りながら自己完成の道へ精進してきた覚者達を、数はごく少ないが、すでに世界の各地へ、今の世へ誕生させているはずである。この人達はそろって善因縁を自ら繰り返し、浄霊波を顕幽にわたって放っているのである。悲しいかな、これらの聖者達は社会の裏にあって懸命に表とのバランスをとるよう努めているから、今の世界には最終的な破壊もなく、争いながらも何とか保全の域にあるのである。

 

 高いところから見れば、今は霊界から現界に放たれている霊波は、黒ずんだ邪悪な争いを引き起こす性をもっている。と同時に現界に生まれている人間にもこの霊波をうけて踊るものが多いようにできている。また反面、これらの悪霊波をはね返して霊界から来る無色にして純な霊波と交流して、社会的浄化運動に挺身している少数の者もいる。私は長年の体験によって、後者の「命(みこと)もちて」日本に送られたという自覚を持つ一人である。私の場合は現界人を治めるよりも、霊界に鬱積して常に現界へ放たれている邪悪霊波を鎮魂浄化しなければならないようである。とはいえ、私だって社会の一員にすぎない弱い人間ではあるが、神ながらは有難いことに、類をもって集まるように仕組んでいるから、わたしがこの日本に生存するからには、霊界はこの運動を推し進めるに必要とする過去世からの宿縁の者を、時に応じてこの世に生まれさせている。そして何らかの人間関係によって私と結びつき、或いは私の身辺に集まってきて、その人なりに天賦の使命を果たしていくものである。

 

 

 

       ・・・・・つづく

 

追伸:雲が晴れて月が見えてきました。わーい(*´▽`*)