残念ながら東京は曇ってて月が見えないですね。
今日9月24日は旧暦の8月15日。
8月15日は矢追日聖さんが霊界からの啓示を受けて立教宣言した日です。
ご著書の中でその様子を書いておられるので、紹介します。
(読みやすいように改行したり段落を変えたりしています。)
「ながそねの息吹」p177
玉音を拝して重い足を引きずって大倭神宮へ参拝したんです。
その時、もうわけのわからん涙がこみあげてきましてね、その気持というものは複雑すぎて口では言えませんね。しばらく神殿で黙禱していたんですが、霊界の方はなんとしたことか全く晴ればれして暁のようでした。
なんだかさっぱりわけがわからないのでじっと見ていましたら大きな地球儀が現われたんです。その地球儀のどの国にも「日の丸」のついているのには全くたまげました。
神さんの方からこの相について何一つ説明してくれなかったですね。こっちで感じとれということでしょう。
日本が覇道でもって世界を征服して日の丸を立てるんではなくて、神意に沿った平和社会がまず日本にできて、時の流れによってやがては世界に広がっていく、そういう相として出たと思うんです。
これは日本がえらいということを言っているわけではありません。日本人が世界をそういうように仕向けて行くという作為的なものでもなく、あくまでも自然に日本から発生していくというふうに感じとれるんです。
これは「日の丸」を日本の象徴としてみた話ですが、神意を通してみれば「日の丸」は日本の国旗というのではなく、日月一体の神ながらの理を表わしていますから、
やがて世界は神ながらの神の摂理にもとづく平和社会になるという見方もできるわけです。
神の摂理にもとづく社会といえば、古代大倭にみられた祭政一致の共同体、大らかにして和やかな姿をもつ社会なんです。
ですから、地球儀に現われた相は、旗というよりも、そうした社会を表わす象徴としての神の心であったのだと信じています。
このあと「大倭教で立て」との神示が下ったのですが、このとき、私はこうした社会をめざしての宗教活動であると悟ったわけですね。
・・・・・・引用終了
夏が終わって、秋分の日が過ぎて、明日は満月。
しきりに「平成最後、平成最後」とテレビから聞こえてくる。
戦後73年。
今上天皇は来年の4月30日に退位される。
今年はなんだかわからないけど、頭の中にやたらと「最終局面」というワードが繰り返し浮かんでくる。
今年の後半から来年の前半が勝負な気がしてならない。
その間の動きで今後の日本の大きな流れが決まるような気がする。
あくまで個人的な感覚です。なんの確証もない。
日聖さんが見たような、平和な社会をイメージしたい。
それをイメージすればするほど、その想念の「エネルギー」が現実を引き寄せるかもしれない。日聖さんは、「思いやりをもつことが一番大事」と、この前読み返した「おおやまと」のなかで書かれていた。
お経なんて唱えなくても、自分にも他人にも思いやりをもって過ごせたら、死んだ後に良い世界に行ける。って、言っていた。平和への近道だって、言っていた。
「利他」のこころ。
いま、急速に日本から失われている心のあり方。
それがきっと、この先の未来をつくる大きなヒント。