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5歳の女の子の虐待死から、虐待の連鎖について考えている。
この記事は、とてもためになるものでしたので、リンク貼り付けます。
たった一人の寄り添ってくれる人がいるかいないか。その違いが犯罪を生む。もしくは防ぐ。
犯人となる親がただひどい奴だった!で終わらせれば問題は決して解決しない。
社会の仕組み全体の歪み。
児童相談所の手落ち?
それだけじゃないはず。
だって、本当に底辺でもがいている人は、結局死なない限りはニュースに取り上げられない。その前の段階で救われるようなセーフティーネットが機能していない世の中。
正直、本気で人の教育や生活、生き死に直接関わっている、現場の心ある人の働く待遇が悪すぎるこの社会はおかしい。
介護士然り。
保育士然り。
相談員のような仕事の人だって、かなりボランティアに頼っている部分があると思う。
なぜか。
資本主義の原理では成り立たないから。
利潤追求が目的ではない。
要するに、お金にならないから。
お金がないと生活できないから。
お金を少しでも多く稼げる仕事をみんなしたい。
その中でも有能な選べる立場の人はお金がより稼げる仕事につく。無能な選べない立場の人は、きつくてあまり人がやりたがらない給料の安い仕事につくしかない。
だから、親は小さい頃から子供を塾へ通わせる。有能な選べる立場の人間にすることが、今の社会の幸せとされているから。
お金がすべての世の中。
みんなと一緒。から外れたら、なかなか本道に戻ってこられない世の中。
外れた者は、ますます孤立と自己否定を深めていく。
でも、本当に必要とされていたり、本当に困った人がいる場所って、お金もうけにまったくならないところだよね?
その矛盾が生み出す綻びは、これからますます弱者を追い詰めていくような気がしてならない。
ナタで無差別に人を殺してしまった青年も、世の中にうまく適合できず、自己否定を強めていたという。だから許されるわけじゃない。絶対に絶対に許されない。言い訳の余地はない。
社会からこぼれ落ちた人々をどうすくい上げていくのか。真剣に考えないと、いつか国を揺るがす大きな問題になると思う。というか、たぶんもうなっているんだね。