書店で新刊として並んでるときから、読みたい!と思っていて、だけど図書館で自然に出会うのを待っていたら数年経ってしまった。
内容。
一言で言うと、暗い。
なんだかやりきれない気持ちになる。
もちろん希望もあるのだけれど、全体的に息が詰まる。
この話の主人公まこちゃんと、2歳下の幼馴染み嵯峨。20歳前後で二人共両親を亡くしている。
ばなな作品ではおなじみの、みなしご設定。だけど、二人の母親はどっちも自殺。父親代わりの神秘思想家高松さん、というおじさんは病死ではあるが、まこちゃんと嵯峨の母親はほぼ後追い自殺に近い。
まだ、未成年の子供を残して、外国で死んじゃった親たち。残された二人が日本で生きようとする過程と青春を絡めたお話なのだが。
父の命日は迫ってるし、近親者に自殺した人もいるし、なんだか穏やかな気持ちでは読めなかった。
残された人の気持ち。
死んでいく人の固定化されてなにも見えなくなった追い詰められた気持ち。
両方の側の近い気持ちを味わったことがあるので、なんだかもういたたまれなくなった。
社会のせいにするな。
とよく言うけれど、この社会の生きづらさ。
狭量さ。お金が全てのシステム。
その中にあってどうしようもなく救われずに落ちこぼれていく人たちはいくらでもいる。
多様性をなくした生態系は必ず滅びる。
個性豊かなおおらかな共同体のあり方について考えるとき、矢追日聖さんが浮かぶ。
そしてアイヌや沖縄に残る、古くから伝わる日本人のあり方。持続可能な社会の手がかりに思いを馳せる。
よしもとばななさんはとても感受性の豊かな繊細な方なので、この社会を覆う薄ら黒い靄みたいなものを敏感に感じ取り、この本を出されたのだな。とよくわかる。
あとがきに書かれている文章を一部引用します。
p204
多分この小説は、昭和の偏屈なおばさんから平成の偏屈なおばあさんへと移行していく過程での私が全身で見聞きした「日本が病んで終わっていくことに抗う表現を細々と続ける」全ての表現者への「応援そして評論」のようなものなんだと思っています。
この時代に生まれてきたことの意味を、暗黙のうちに問われているような本だな。と個人的には感じました。
いまの状況はこれです。
あなたの持ってるものは、これとこれ。
さあ、どう生きますか?
といった問題提起をされている作品な気がします。
日々の中で、思い詰めず、軽やかに笑って生きるにはどうすればいい?
もちろん、どうしようもなく深い悲しみや絶望を抱えながら、それでも綺麗なものを見て、明るいものに目を向けて生きるための心意気。それを、問われている作品。
ばななさんは、そういう意味ではいつも挑戦者だ。
思春期に彼女の作品に出会い、中年になりつつつある今もこうしてその作品と寄り添い歩めることを幸せに思う。