2,3日前から、この歌が頭に繰り返し浮かんでくる。
ヤマトタケルノミコトの詠んだとされる歌。
以下、奈良県の公式ホームページから引用します。
『倭(やまと)は 国のまほろば たたなづく青垣(あをかき) 山籠(やまごも)れる 倭し麗(うるは)し』
(大和は国の中でも最もよいところだ。重なり合った青い垣根の山、その中にこもっている大和は美しい)
『命の 全(また)けむ人は 畳薦(たたみこも) 平群(へぐり)の山の 熊白檮(くまかし)が葉を 髻華(うづ)に挿せ その子』
(命の無事な人は、大和の国の平群の山の大きな樫の木の葉をかんざしに挿せ。おまえたちよ)
・・・・引用終了
古事記の中で、ヤマトタケルが遠征先の死の床で二度と戻ることの無い故郷を思いながら詠んだとされる歌。
なんてうつくしいうただろう。
大好きな歌。
やまとはくにのまほろば。
その、大和言葉の響きのやわらかさとうつくしさ。
生きている人は、戦いやその他の煩わしいことに心を奪われず、平群の山の樫の木の葉をかんざしにさしたりして、「純粋な生きる喜び」を味わいなさい。と、語りかける。
国を愛する純粋な気持ち。
神って、私たちを今ここに生かしているエネルギーや自然の仕組みそのものであり、自分自身だよ。わたしが発見したわけでもなんでもない。
いろいろ勉強して、いろんな人に話を聞いて、そう思った。
神は、その人の先祖であり、高次の自分、そしてそれらを生かしてきた大いなる力。
ある人に、「あなたはエネルギーが大きすぎて、自分で自分を詰まらせている」
「ゆるまないと流れないよ」と、言われた。
「もうこれだけインプットして、アクセルふかし続けてたら、あとはその余力で力抜いてても十分進めると思うよ」って。
ぎょっとした。自分でもよくわかってないことを言われて。
でも、同時に見透かされた感じもして。
結局、自己信頼がすべて。
わかってたようで、わかってなかったこと。
誰かに決めてもらうのを待つのじゃなく、自分で決められるか。
自分を信じられるか。
自分を信じると、自分で決められるか。
決めたうえで、動けるか。
それが、全て。
なぜなら、わたしたち、一人一人の人間が神だから。
日月神示にある「地の日月の神」とは、人間のこと。
占いも、スピリチュアルも、マッサージも、医療も、
「いかに人を依存させてもうけるか」の勝負に走っている傾向が強すぎるように思う。
そういうのに、なんだか最近うんざりして。
「依存させて、不安にさせて、自分には力がないように思わせて、お金を使わせてもうける仕組み」があまりにくっきりはっきり見えて来ちゃって、もう嫌だ。
だから、わたしはそういう方向には行かない。
依存させない占い。
依存させないマッサージ。
自分で食べるもの。
自分で考えること。
自分の日々の姿勢。
そういう行動だけが、自分を真の意味で健康にする。
彼らは、自分で自分をよくする方法を生涯をかけて説いているが、そういうやり方ではお金にならない。
それでも、自分が正しいと思うことをやり続ける姿勢がかっこいい。
人に依存して、楽したかった自分を卒業しなくちゃ。
自分を信じず、自分で決められず、なのに「こんなもんじゃ終わりたくない!」!って強烈に思いながら生きてきた33年間。
今年は意識して自分で決めてみる。
間違ってたとしても、「自分がそう思ったからそうした」
「自分がやりたくてやってる」と思える行動パターンを積み重ねたい。
誰かのためっていうより、自分の宣言のための今日の記事だな。
2人だけいる貴重なこのブログのファン(両方身内、笑)のうちの一人から、今日「最近あんま更新しないし写真ばっかで短すぎ!」とお叱りをうけ、「もっと書いて私のために!」とリクエストされたので、いい気になって支離滅裂な記事書いてみたよ。
のせられやすいの、わたし(笑)
今日の記事は自分のため。
わたしのブログは、近しい身内に今の自分が思っていることを率直に語り掛けているような調子でちょうどいいのかも。その中で、ひとつでも、読んでくれた誰かのきっかけや気づきになるようなことがあれば、とてもうれしく思います。
ね、仏のYさん(笑)