腰を痛めなかったら、一生読み終わらなかったであろうこの本を読み終えました。
やっと読み終えて、しかも数か月ぶりに書評を書こうとしたのに、さっき半分くらいまで書いた記事が一瞬で消えて、心折れそう( ;∀;)
面白かったけど、難しい!
専門的すぎて読むのが大変だった。パッパラパーのおばかな頭じゃオーバーヒート(*_*)
学術書!って感じの内容です。
正直感想まとまる気がしませんが、一度読んだだけじゃまったく頭に入らないので、書いて整理する作戦決行。
ハリケーンの後みたいに頭の中がぐっちゃぐちゃだい。
さて、ホツマツタエとはなんぞや?
というところから。
早速Wikipedia先生にご登場願います。
以下引用
ホツマツタヱ
『ホツマツタヱ』は、「ヲシテ」なる「文字」(いわゆる「神代文字」の一つである)を使っているいわゆる「ヲシテ文献」のひとつ(学会、学界、学者からは偽書とされている)。五七調の長歌体で記され、全40アヤ(章)、10700行余、で構成された、研究者によれば記紀の「原書」であるという、いわゆる「古史古伝」のひとつである。その成立時期は、記紀との内容比較から『古事記』『日本書紀』よりも古いという主張もあるが、写本の出現時期などからは少なく見積もった場合、江戸時代中期までしか遡れない。『春日山紀』(安永8年、1779)の存在による[1](『春日山紀』は、江戸時代当時の木版活版での印刷出版物である。岩波書店版『国書総目録』に記載あり)。
この古文書は、1966年(昭和41年)に自由国民社の編集長であった松本善之助が東京、神田の古書店で写本を偶然発見したことから世に知られることになった[要出典]。松本はそれまで『現代用語の基礎知識』や『現代の経営(ピーター・ドラッカー)』など出版事業に深く携わっていた[要出典]。『ホツマツタヱ』との出会い以来は、写本の発見とその校正、読解に心血を注ぎ込んで、『古事記』・『日本書紀』との三書対照を踏まえて、『ホツマツタヱ』こそが、記紀の原典であると確信するに至った[要出典]。
2016年12月に愛好家が、「再発見50高島 ホツマツタヱ 縄文ロマンの集い」を開催した。清藤直樹は、ホツマツタヱは「数千年前から紀元後までの歴史や風土などを記した大叙事詩だ」と言った。
・・・引用終了
はい。わかりましたか?
難しいよね(笑)
ホツマツタエは要するに、「ヲシデ文字」と呼ばれる、漢字が入るよりずっと昔から日本にあった(と言われている)文字で書かれた日本の「古史古伝」のこと。
全て五七五調の長歌形式で記されている。
問題は、これが正当な文献なのか、偽書なのか。というところ。
学会ではバッサリ「偽書」とされているらしい。
でも、「正統」な古事記以前の歴史書だ!と主張する人もいる。
で、ほんとのところ実際どっちなの??
誰か、詳しい人教えてほしい。
わたしは、ホツマツタエの本をこの一冊しか読んでないけど、ず~っと自分なりに日本人の古代の精神文化みたいなものを調べてきて思うのは、言ってることの中身がとても一朝一夕に考えられたようなレベルではない深淵なる智恵を含んでいるし、具体的な記述についても「神道」の世界観と非常に合致する。と思う。
なので、一概に偽書だと言うのはどうなのかな、と疑問は残る。
ただ一方で、「あいうえお」という平仮名は平安時代に空海が考え出した。という説が本当なら、このホツマツタエの時代にあいうえおはまだ存在してなかったということになる。でも、この本は主に「あいうえお」ありきで語られているんだよね。
古代に文字があったのか。
これも、タイムマシーンで古代に行かないかぎりはわからないよね。
でも、古い歴史をもつ民族は、ほぼ間違いなく口頭伝承でその歴史を残している。
だから、その口伝で残された歴史を、のちの世の人が書き出した。と考えるのが自然なのか。あとはもう、要するに「霊界通信」みたいな感じで、霊能力のあるひとが「出口王仁三郎」的な感じで“ 降ろされた ”か。
どっちかなのかな。
なんだかここまでの時点で長くなってしまったので、次の記事に続く。。。
今回も完全自己満足メモとなってますので、興味のない方はスルーしてくださいませ。