深呼吸図書館

悩めるあなたのための1冊アドバイザー“なついちご”が、今のあなたの気分にぴったりの本紹介します。

捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ。

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5年前の今日、わたしはスウェーデンのダーラ・フローダにいた。

 

そしてなぜか、その5年後の今日。

母と飯能のムーミンバレーにいた!(笑)

 


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面白いもんだね。

生きてると、いろいろあるんだなぁ。

続けてみないとわからない。

生きてみないと、わからない。

その場の激しい感情だけで、過去や未来や、今日のもつ意味を勝手に決めつけてはダメですね。

 

最近、自暴自棄になる度、あたまに浮かんでくる言葉がある。

 

自分を軽んじるな!

命を軽んじるな!

すべては大きな流れの中にある。

 

わたしたちは、どこから来て、どこへ還るのだろう。大きな流れのなか。

もがきながら、濁流にのまれそうになりながら、進むしかない。

 

捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ。

いらないものを、手放していく旅の途中に誰もがいる。

 


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劣等感のカタマリ

いつの間にか、もうとっくに乗り越えたつもりでいた「劣等感」が、久しぶりに顔を出した。

 

昔は自分という人間を構成する成分の90%以上が「劣等感」だったと思う。

懐かしい顔なじみだが、まったく過去になっていなかった。

衝撃を受けた。

 

施術のことで、友達と昨日話してて、

「自分 自分 自分」ってなってることに気づかされた。

いざそれを正面から指摘されると、がーん。キッツぅ―(;´Д`)

って感じ。

 

ここんとこ、技術を高めるために、結構努力してたし。

ってか努力はずっとしてるんだけど。

講習にも通い、体の本も読み、仕事で試してがんばっていた。

技術が欲しかったから。

全てをはねのけてあまりある、有無を言わさぬ技術がほしかった。

 

なんかいっきに、なんのためにがんばってるのかわからなくなった。

 

わたしのがんばりって結局、

「誰かに」自分を認めてもらうための「代償行為」だったことに気づいた。

 

そもそも「癒し」って言葉が好きじゃないし、

「誰かのため」とかそんなに思っていない。

わたしには、圧倒的に「癒してあげたい優しい気持ち」が欠如している。

セラピストやってる人は、自分がボロボロになっても人に尽くしちゃうようなやさしい人も多い。

それが良いとか悪いとかじゃなくて、そういうのがわたしにはほとんどない。

基本、「自分のため」だし、技術を磨くのは純粋に楽しい。

 

とにかく誰にも何も言わせないだけの、ぐうの音も出なくさせるだけの、

「圧倒的な技術」がほしかった。

上手くなりたくて、結果の出せる人になりたくて、必死でやっていた。

結果が出したかった。

 

でも、「なんで?」って言われたら、なんでだったかわからなくなった。

そんで、考えた。

わかった。

 

わたし、社会の王道を生きている人たちに、自分を認めさせたかったんだ。

「対等」になりたくて必死だった。

これまでずっと、社会からはみ出してきたことが、悲しかったし、情けなかった。

なんてダメな人間なんだろうと思って、ずっと苦しかった。

もう10年以上前に、父を亡くして働けなくなったときに感じた強烈な「挫折感」と「絶望感」が、知らぬ間に今のわたしを突き動かしていたのかもしれない。

あのとき粉々に砕け散った自尊心を立て直すために、わたし、今度こそ誰にも何も言わせないほどの「圧倒的な実力」がほしかった。

 

あのとき社会からはじき出されて、本当につらかったから、生きている価値がないと思ったから、今やっと、社会とつながるためのマッサージという武器を手に入れて、わたし、「ダメじゃない」って、「生きてる価値がある」「社会でちゃんとやれてる」って思いたくてがんばってたのかもしれない。

でもそもそも、現実の世界では誰も、今のわたしを「ダメ」だとも「価値がない」とも思ってないのよ。たぶん。

あのときのわたしを救うための「代償行為」でしかない。

そこにマッサージを受ける側の人って、不在なんだよね。

もちろん、施術する時はちゃんと相手のこと考えてやってるけど、もっと深いところ。「技術を磨いて結果を出したい」というふつふつとした思いの出所についての話。

 

もうこんなに時間が経ったのに、あのときの強烈な挫折感と自己否定が、不安と恐怖がわたしのなかにまだ生々しく残っていることに気づいた。

自分は社会に適応してうまくやっていけない。

どうしよう。

これからどうやって生きて行ったらいいの。

わたしなんて、生きてる価値がない。

と、毎日毎日思って死にたかったあの頃。

 

思い出したらなんか泣けた。

よく、ここまで立て直したな。自分!と思った。

 

わたしは基本的に、生きてるのがつらい。

自分の中に、いつも葛藤があって苦しい。

社会の中でふつうにやれない。

でもたぶん、外からはそんなふうには見えない。

明るくて社交的な人だと思われていると思う。

 

あのときの自分を救いたくて、わたしがんばってきたのかもしれないな。

 

でも心の中ではいつもイライラしてるし、焦っている。

がんばってもがんばってもまだ「足りなくて」「報われない」感じがして、疲れ切ってる自分がいる。

だって、わたしよりすごい人はいくらでもいて、わたしはその人たちには追い付けない。わたしが進んだ分だけもっと、その人たちも進んでる。

そういう基準にとらわれていると、がんばってもがんばっても自分は「まだまだ足りないダメなまんま」に感じられて、ダメだしされるのに疲弊してきてる。

 

このままじゃダメだな。

 

結局動機が「不安と恐怖」なんだよ。

自分の顕在意識では「お互いの喜びのため!」と思ってたけど、それも嘘じゃないけど、圧倒的に「不安と恐怖」の占める比率がでかい。

「我」でいっぱいなんだよ。

 

それに気づいたら、

力が抜けた。

嫌になった。

疲れた。

 

人間として生まれて「我をなくす」って、死にたいほどつらいわ。

だってそもそも「我」しかないもん!

そんなことできやしないよ!と思う。

なのにチャレンジしなきゃいけないの?

嫌になってくる。

もう欲望に忠実なクソ人間でもよくない?

なんでわたしはこんなに、「よく」なりたいんだろう。

人間としても、性格も、考え方も、技術も。

「よく」なりたい。

でもそれが苦しい。

 

しばらく努力するのやめる。

なんか、ばからしい。

もっとおおらかで、気にしない、気にならない性格の人に生まれたかった。

 

手島静子「104歳になって、わかったこと。」②

matogrosso.jp

 

このサイトで全文読めるみたい。。

太っ腹だなあ。

 

こんなおばあちゃんが近くにいる人は幸せですね。

わたしはお年寄りに縁のない人生を送ってきたので、まったく「親しみ」のような感情が湧かない。自分の全部を受け止めてもらえて、愛してもらえたような経験って親以外であまりないし、親ですらそんなにないな。

 

みんなに、こういう年長者が一人でもいたら、人はゆがまずに育つことができるのにね。

 

 p66

 お客さんの「色」が見える。

 

 「てしま食堂」も、わたしがいなくなったあとのことは心配です。

  子供たち、孫たちは、みんな毎日がんばってくれているけれど、まだまだぜんぜん足りません。

 

 今ごろの人たちはみんな、自分のことで忙しいでしょう。

 ちょっと時間があると携帯電話とにらめっこして、おしゃべりを始めちゃう。

 

 わたしはいつもこの席に座っています。ここに座っていると、お店全体が見渡せます。入り口から入ってくる人を最初に見ることができるのもこの席です。わたしはおばあちゃんだけど、今もこの店で一番お客さんのことを見ているの。

 

 わたしには、お客さんの「色」が見えます。

 ハッピーな人、さびしい気分の人、悲しい人、イライラしている人、急いでいる人、ひとりでいるのが好きな人。

 そういうのがわかるんです。

 人の色が見えるの。

 ハッピーな色の人なら元気に笑顔で挨拶して、さびしい色の人にはこちらから近づいていって話しかけて。急いでいる人なら、なるべく早く注文を聞いてあげて、すぐお料理を出してあげるのが肝心。

 お客さんには、それぞれの色がある。あの入り口から入ってきたときに、そういう「色」が見えるんです。

 

 p68 

 感じること。

 

 いつも座っているこの椅子とテーブルが好き、この場所が好きなの。

 ここからは店のすべてが見える。すぐうしろにキャッシャーがあって、お客さんが入ってくるドアもよく見える。

 ここに座っていると、お店の感じがよくわかる。色、空気、雰囲気、風、匂い、いろんなことがすぐわかる。お店の声が聞こえる。

 お客さんの色が見えるように、わたしにはいろんなことが感じられます。

 I feel it.

 わたしには感じることができる。

 

 今ごろの人たちはすぐに言い合いになるでしょ。わたしの子供たちもそう。

 すぐケンカする。

 

 何も言わなくても感じられれば、言い合いにならないのに。

 近ごろはみんな、感じられなくなってしまっている。

 もっと感じ合えばいいのに。

 

 p78

 わたしたちはみんな、理由があって生かされています。

 

・・・中略・・・

 

 お金は、仕事をたくさんすれば貯めることができるでしょう。でも心を買うこと誰にもできません。

 

 人間として大切なのは、思いやり、寛容さ、生き物にやさしくすること、謙虚であること、そして、人に尽くすこと。

 

 わたしは自分の子供たちに「謙虚であれ」と教えてきました。決してウソをつかず、勤勉で、勤労であれと、子供たちにはそういう心を伝えてきたつもりです。

 息子や娘、孫たちに、お小遣いをたくさん渡したことはありませんし、これからもないでしょう。

 わたしが死んだら、わたしのお金は彼らのものになります。でもそれは、わたしが死んでからのこと。それをどのように使うかは彼らが自分で決めることです。

 

 人生の意味は、お金では決して買うことができません。

 

 p114

 自分が今、できることを一生懸命にやる。

 それが、生きる、ということです。

 

 お店で働いている人が、もし「もっと給料が欲しいから別のところへ行く」と言ったら、わたしは止めません。

 わたしは、自分からは何も言いません。去る人は止めません。でも、自ら「やりたい」という人には、チャンスをあげたい。

 

 今、キッチンの洗い場で働いてくれている色の黒い男の子は、ミクロネシアからの移民です。ほかでは働き口がなくて、うちへやって来ました。

 やって来たばかりのころ、あのボーイ(色の黒い男の子)は、英語がほとんどできなかった。でも、ひとつ教えるとそれを一生懸命やり、もうひとつ教えるとそれをきちんと覚えました。

 

 He is a very good boy!

  とてもよく働くいい子です。汚れる仕事、、人が嫌がることをきちんやる。

移民の彼にとって、ここで働けるのは幸せなのです。ここでした働けないことをあのボーイは知っている。だから彼は、ただ一生懸命に自分ができることをやっている。

 

 自分が今、できることを一生懸命にやること。

 それが、生きる、ということです。

 

 

 

手島静子「104歳になって、わかったこと。」①

 

104歳になって、わかったこと。

104歳になって、わかったこと。

 

 

 

ワイ島コナに、日系2世として生まれ、食堂を営むおばあちゃんのお話。

 

104歳でもお店に出ているというから驚きだ。

2013年に106歳で亡くなったそうです。

本は2011年に発売されている。

 

1907年に生まれ、2013年まで100年以上。

激動の世界を見続けるって、どういう気持ちなんだろう。

生き証人、って、まさにこの方のような人のことを言うんだろうな。

図書館でなんとなく目に留まって借りた本。

文字数少ないし、読み易そうだったから借りた。

 

とてもまねのできないすばらしい人生の歩き方。

人の一生って、つくづくお金や名誉や肩書では計れないものなのだな。と思う。

お会いしたことがないのに、手島おばあちゃんがどれだけ多くの人から愛されているかが、本の中からびんびん伝わってくる。

人に心を尽くし、ただただ一生懸命に働き、尽くした人々から年齢や国籍を問わずに愛された人間の一生って、こんなにも偉大で貴いものなのか。

彼女は有名になりたいとか、露ほども考えていなかっただろう。

でもたぶん、まわりがほおっておかない。

 

好きだった箇所を引用します。

 

 p32

 すべてをひっくるめて、自分の人生が好き。

 

 ハワイが大好きです。

 ここはプレッシャーがあまりなくて、いつでもリラックスしていられるでしょ。

 

 ハワイでも特にこの辺り(コナのホナロ村)は田舎だから、となり近所とっても仲がいいの。昔は、みんな知り合い、家族みたいなものでした。

 

 出逢った人、起きたこと、人生のいろんな出来事や場面を覚えています。そして、そういったすべてをわたしは好きです。

 

 いろんなことがありました。大変なことも多かったし、つらいこともたくさんありました。でも、そういったことすべてをひっくるめて、わたしは自分の人生が好き。

 

 I think I like my life.

 

 わたしは、わたしの人生をけっこう気に入っています。

 

 p50

 みんな砂浜で横になって、見上げれば満天の星空。

 

 ハワイ諸島でも、この辺り、ハワイ島のコナの辺りは、田舎です。昔は、もっとすごい田舎でした。

 田舎だから、みんな仲良しで、地域全体がひとつの大きな家族のようでした。都会だと、競争とか、いろいろあるんでしょうけれど、わたしが育ったこの辺りは、競争とは無縁。みんな助け合って生活していました。そういうところは、田舎のよいところ。

 

 野菜を育てて収穫すると、必ずみんなで分け合いました。コーヒー豆ができたら、みんなにあげました。

 

 幼いころ、知り合いの日系人の家に遊びに行くと、わたしも家族の一員でした。ひとつの布団で寝たり、同じ部屋に隣同士で寝たり。みんな気にしませんでした。

 今ごろはもう、そんなことはできないでしょう。

 

 昔、いくつもの家族で一緒に、お休みをとって海辺へ行きました。ファミリー・ピクニック。夜になると、浜辺の樹の下に、みんなで一緒に寝たものです。布団があったかどうか、覚えていないけど・・・。

 みんなで一緒に砂浜の上に横になって、見上げれば、満天の星。

 

 p52

 海辺の小屋で、夏休み

 

 昔、海辺に住んでいたハワイ先住民のところに、夏になると遊びに行っていました。

 小さな、夏休みでした。

 先住民たちは、海のすぐそばに、茅葺き屋根家を手作りして、住んでいました。掘っ立て小屋のようなものです。そういう小屋が、あのころ、海辺にはあちこちたくさんあって、誰も使わなくなった小屋もあったんです。

 家族でロバに乗って海辺へ行き、空いている小屋を使いました。わたしたちが海で遊んで、小屋に泊まっても、先住民たちは何も言いませんでした。彼らはいつも笑顔。のんびりしていて、いい人たちばかり。フレンドリーで、オープン。

 そのかわり、彼らがコナの方へやって来たら、今度は彼らが好きなだけわたしの家に泊まれるの。こっちも泊まらせてもらっているから、あっちも自由に泊まれるの。

 そんな時代でした。

 

 

 

 

閲覧注意な毒吐きひとりごと

日米安保条約なんて、もうこれを機に破棄すればいい。その代わりビタ一文お金はアメリカに出さず、口出しもされない。

と宣言すればいい。

2018年度の在日米軍関係経費は、過去最高の8000億円超えだという。8000億円!

 

これだけ、日本の若者が貧乏で結婚出来ず、子供も生めず、カツカツで子育てしている共働き世帯も含めて、将来年金もらえないから自力で2000万円用意しろよ。

税金はさらに上げるけどね。

という日本政府。

自国民は締め上げて、外国人をせっせと優遇。なぜこんなことが許されるの?

 

頭、狂ってる!

 

 

日米安保は日本のためだけの条約じゃない。

アメリカにメリットがあるに決まってるじゃん。じゃなきゃ、そんなお人好しなことアメリカがするはずないでしょ。ばかなの?

日本は、戦争に負けた国。

アメリカは勝った国ですよ。

どこの世界に負けた国に有利な条約があるんだよ!破棄したくば、しろ!

 

何もかも脅されていいなりの戦後日本。

 

破棄したら、中国に攻められるのかな。

それをしても、中国は世界の中で地位を維持できるものなの?

 

だけどもういい加減、独立国になる気はないのかね?日本って。

 

国をあげて自然栽培をして、世界に安全な農作物を提供するとか、ダメなわけ?

日本にはまだ豊かな水があるけれど、世界的には水問題がこれからさらに深刻化する。

 

 

環境問題の技術だって、海洋技術だって、世界一なのに。

天皇陛下が世界でナンバーワンの位置にいるのは、同じ血を世界で一番長く絶やさず護ってきたから。

日本人が、もっと自国の正しい歴史や文化を知らなければ、誇りなど持てるはずがない。

教育って罪が深いなぁ。

 

 

世界経済はこれからさらに大荒れになるだろう。

なぜこの先行き止まり、崖です!とわかっている道を突き進むのか。

今までの経済システム、資本主義ではこの先成り立たなくなるのを、頭のいい人はみな気づいているのに!

 

 

なぜそんなに戦いたいのか!

 

ベーシックインカムにして、国民にとりあえず安心して死ぬまで生きていける未来を与えたら、自由な発想もいい案も必ずわんさか出てくるはず!頭のいい、有能な人はたくさんいるのだから!

不安や恐怖、ここに極まり!といったテレビの中の様相が気味悪い。

 

日本は、移民やアメリカや朝鮮ではなく、自国民をなぜ一番大切にしないの?

 

 

もう、自然を守らないと国が終わるよ。

こんなに地震の多い国の、断層や海岸の近くにわざわざ、原発を作ってしまった悲しい国だ。

 

車があっても、便利な家電があっても、環境が汚染されて食べ物がなくなったら、人は死ぬんだよ。

 

 

 

頭のおかしい、情報操作のニュースばかり。

意識して見ないようにしてるけど、目に入るだけで気持ち悪くなる。

 

誰かを刺し、車でひき、自作自演の事故による経済制裁。の嵐。虐待、老後不安。煽る煽る不安を煽る!

 

 

そして取引のカードを有利に切るための日米安保条約の激震。誰に有利になるように情報を流しているのか。情報の出所はどこで、何を意図して流されているのか。それによって得をするのは誰なのか。なぜこの時期を狙って来たのか。すべて、偶然ではないはず。

 

それを見極めないと、ただただ混乱の海に飲まれてしまう。

 

力を奪われないようにしなくちゃ。

何を見て何を見ないかをもっと精査しなくては!

 

よく食べてよく寝て、よくしゃべり、よく笑おう!庶民は庶民にできることをするよ。

ショボいけどな!

すいか一玉❗️

食べ物記録。


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すいか。

今年初。令和初。

たまにしか行かないスーパーの創業祭で、なんと一玉1080円!

この時期で!このデカさで!

う、うまかった。

 

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とうもろこし。

値引きしてたやつを買った。

甘い✨甘すぎる!!

一本夢中でむさぼり食ってしまった。

あー、なんておいしいんだろう。

きれいで可愛くておいしいなんて、最高じゃないか!!


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自分で自分にかける言葉


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どうもー。

不人気ブロガーです!

ブロガーじゃないけど。

 

なんだかいじけた気持ちなので、イジイジを全面にうざく出しながら書きます(|| ゜Д゜)(´Д`)(´д`|||)

 

昨日仕事で嫌なことがあってね。

イライラして落ち込んでふて寝した。

 

そんで、今日、洗濯たたみつつ、石と瞑想してみた。

 

それから、なんとなく目についた本を手に取った。まだ、流し読みしかしてないけど、大好きだと確信している著者の本。

ベトナムの禅僧。

ティック・ナット・ハンさん。

 

昔、もう何年も前。たぶん10年近く前。

NHKのドキュメンタリーの再放送をなんとなくたまたま見ていて、彼が出ていた。

そのお顔を一瞬見ただけで、大好きになった。なんて慈悲深く優しいお顔なんだろうと思った。その教えも、するすると心に染み込んだ。

 

でも、本をきちんと最初から読んだことはなくて、BOOK・OFFで買ってあった。

彼は神界から、大きな使命をもって来られた愛の人だと心から思う。

 

わたしは、仏教はちょっと苦手だけど、ティック・ナット・ハンさんの教えだけは好き。

なぜなら、彼の教えは宇宙の仕組みそのものだからだ。

 

ハンさんのとても尊敬するところは、ただ愛しましょう。許しましょう。と上っ面のキレイゴトを言うのでなく、人を殺したくなるほどの憎みや怒りへどう対処するか。の具体的な方法を説いていらっしゃるところ。

 

ここが、本当に尊敬ポイント。

そして、彼自身が、身内や仲間を不当に殺されても愛を生きようとする実践者であるところ。ここに、勇気付けられる。

 「所詮あなたはわたしと違って恵まれてるからでしょ!」という、いじけた言い訳が、彼の 前には一切通用しない。

 

誰よりも苦しいこと、困難なことを率先して身をもって行い、わたしたち後に続くものを励まし、勇気づけている。

尊敬しかない。

 

わたしは、何者なのか。

この苦しみのなかをどう生きればいいのか。

なんのために生まれたのか。

それを知りたい人には、必ずなにか貴い気付きがある本だと思います。

 

自分の中にある汚い苦しい感情とどう向き合うか。向き合った上でどう生きたらいいのか。

 

 

ティック・ナット・ハン

「あなたに平和が訪れる禅的生活のすすめ」より

p80から

 

さっき、ふと開いたページにあった話。

まだハンがベトナムにいた頃、弟子の若き僧侶が道で、トラックにのったアメリカ兵から頭につばを吐きかけられた。

この頃、ベトナムの多くの若い人は、非暴力の実践をやめて民族解放戦線に加わりたいと考えていた。銃を取ってアメリカ軍と戦いたいと思っていた。

 

ハンは、その若き弟子を抱きしめながら、こう言い聞かせたという。

 

「どうかわかってほしい。私たちは銃を取るために生まれてきたのではない。愛するために生まれてきたのだ。愛こそが私たちのもつ唯一の武器なのだ。」

これを聞いて、彼は自分の本来の目的を思い出してくれました。そしてこれまでどおり、社会のための仕事を続けました。

 

 世界は差別や暴力に満ちています。そうした負のエネルギーにとられてしまったら、わたしたちはもう互いに助けあうことも、この地球を助けることもできません。それよりも、私たちは自由と安定と理解を育てるべきです。こうしたことを実践するのに僧や尼僧になる必要はありません。自分の中の善良な部分に心を開こうとするだけでいいのです。

自分の仏性、愛の心を呼び覚ましてください。

 

………………………………………………………………………………

 

苦しいとき、憎しみや怒りに我を忘れたとき、こんなふうに抱きしめてくれるお師匠さまが近くにいたら、どんなにか幸せだろうね。みんなのそばにこんな人がいてくれたら、世界はもっと平和になるのにね。

 

 

わたしは、自分という人間が怒りで人生を滅ぼしかねないことをよくわかっている。

だから、ある意味では必死にそうならない道を模索している。

 

怒りに我を忘れるのって、ある意味快感。

それこそ怒る正当な理由があるときはなおさら。

 

怒って当然のときに、戦わずに愛を選ぶって。たぶん、死んだほうがましなくらい苦しいよ。

 

わたしが若き僧なら、迷わず銃を持って戦って犬死してるな。死んでもいいから、相手にやり返してやりたい!!!と思うもの!

その激情に抗うより、身を任せたほうが何百万倍も楽で気持ちいいはず。

だけど、そこで愛を選ぶのか!

なんて厳しいんだ!!

 

 

 

不当に殺され、痛めつけられ、奪われても愛で返すのか?なんて理不尽なんだ!!と思うよ。

 

でも、この本を読んだ後に、頭のなかにふと浮かんできた言葉がある。

 

「自分で決めていい」と。

 

誰も強制していない。

自分のエネルギーをどう使うかは、自分の好きな方を選んでいいのだ。

 

ルールは、人のせいにしないこと。

 

「自分で決めて、自分で選びなさい」

 

さあ、そう言われたら言われたでなんか悩むよね(笑)

 

今日は夏至

一年でもっとも太陽が長く地上に留まる日。

雨だけど。

 

わたしが、わたしのエネルギーを何に使うか。いい加減ちゃんと決めなきゃいけないな。と朝から思いました。

 


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