深呼吸図書館

悩めるあなたのための1冊アドバイザー“なついちご”が、今のあなたの気分にぴったりの本紹介します。

辰巳芳子「食に生きて」後編

書評って、時間を空けると書くのが本当にめんどくさくなるなあ。

図書館の返却期限が近づいてきたので、がんばって後編書くことにします。

 

こちらの本の続き。

 

食に生きて:私が大切に思うこと

食に生きて:私が大切に思うこと

 

 

後半は食べ物について。

 

P89

 食べたものを味わう、その味がわかるかわからないか、それが命の根源なんですよ。

人間が命を完うする(まっとうする)基本は「食べ分け」です。これを食べたら養われる。これを食べたら害がある。それを食べ分けることから人間の食の歴史は始まっているのです。食べ分けこそが食の命をつなぐ出発点とも言える。

 

 だから、美味しいということは命の安全と直線的につながるから、やはり「食べるものはおいしくなきゃならない」という意味はそこにあると思う。

 

 美味しさと命が直結している 

 

P155 、156

 私のことを心底見抜いていた弟にいわれたことがあるの。「お姉ちゃんって、決して料理が好きな人じゃなかったけど」って。これは私自身も認めるのね。

母のように「好きで、好きで、しかも天才で」お料理をしていた人とは本質的に違う。

 

 本当は料理がそれほど好きじゃなかった。だから、そこに何かしらの意味や理由を確認しないと出来ない。本質をとことん掘り下げて、やらなければならない理由を自分に納得させないと何も出来ない人間なんですね、私は。

 そこですべての料理の出発点として「人はなぜ食さねばならぬか」という命題を十数年考え続けました。そうしてようやく行きついたのは、

 

「食というものは呼吸と等しく、生命の仕組みに組み込まれている」

 

ということです。

「生命の仕組み」といったとき、当然そこには実存的な意味合いが含まれます。つまりは単に肉体だけではなくて、魂をも支えるということですね。呼吸しないと死んでしまうように、人は食べなければ生きていけない。これは肉体と魂のレベルにおける厳然たる事実です。すべてはこの事実から始まります。

 

P157

「食べることは他のいのちとつながること」に他ならない

 

「食を通じて私たちは地球環境の一部として全部つながっている」

「長い時間軸にわたって私たちは先人と全部つながっている」

 

 いまではだれでも、それぞれ自分が「個」として生きているようなつもりでいるけど、それは大きな誤りです。先人のいのちがけの営みのおかげで、わたしたちはいまこのように食べ、生きて行くことができる。だからね、私たちもこのいのちをより良い方向に進化させて、次の世代に渡していく責任があるということなのよ。つねにそのことを心に刻んで、食べるということに真剣に向き合ってもらいたい。私が次の世代にいいたいのはそれ一つです。食べること即ち生きることですからね。

 

 いのちというものは、本来、つねにより良き方向を目指しているものです。その「いのちが目指すところ」とは、「生物としてのヒト」が「信・望・愛を秘めた人」になること、なろうとすること。

 

  ・・・引用終了

 

この引用した文章の後につづく辰巳さんの「食に就いて」の結論が圧巻です。

いのちとはかくあるべし!!という深い洞察と強い信念。

宇宙や地球、風土の一環として、愛し愛されて生きてこそ「ヒト」は「人」になる。

と述べておられる。

 

日本の農業を担っているのはほとんどが高齢者だ。

「もうからない」農業をしない人が増えて、長年「日本の食」を担ってくれた高齢者が亡くなった後、日本の食糧事情は激変するだろう。TPPで海外からの食糧がなだれのように流れ込めば、もはや「食の安全」など風前の灯だ。国際中医師の「木津龍馬」さんも書かれているが、今ある病気の半分は「食べ物」と「食べ方」で治る。という。スピリチュアルな本含め、人間の健康について書かれた本を数冊読んでいるが、「ふつうに生きていれば人間は健康で生きられるようにつくられている」とある。少なくとも5冊は同じような記述を目にした。つまり「身体にとって不自然なこと」をしているから病気になる。というのだ。

 

岡島瑞徳さんは、「とらわれ」が一番よくない。

とおっしゃる。「あれを食べてはいけない」「これを食べてはいけない」という縮こまった気持ちで食べるのがもっともだめ!と書いている。わかるな~、と思う。

だからわたしはマクロビが嫌い。

 

きょうの料理60周年で、大好きなレミが先週はテレビにいっぱい出ていて幸せだったのだが、レミさんはいつも「楽しそう」。だからおいしい料理ができるし、まわりに人集まってくる。「楽しい気持ちで、おいしいものを食べる」これに勝る幸せはない。それをレミさんは全身で表現して教えてくれているように思う。

 

先週久々に実家に遊びに来たわたしの中学時代の友達。

育児疲れ気味。うちの母の料理を何度も「おいしいおいしい」と言いながら食べていた。そんな母に感謝だなぁ、と思った。

ここ数年で知り合った年上の友達にも、度々「おうちごはん」をごちそうになったりする。やっぱり、弱っている人に対してできる最大にして最強のことって「あったかい手作りごはんを食べさせる」ことなんだな。としみじみ感じる。わたしはいつも食べさせてもらう側で情けないんだけど。

 

その意味で、お母さんって本当に偉大。

実のお母さんじゃなくても、お母さんの心をもった女の人って、神様みたいだと思う。

たぶん代表的なところでは「佐藤初女」さんですね。

 

あったかいごはんを、楽しい気持ちでみんなが食べられる世の中になれば、戦争も犯罪もなくなるだろう。一家に一台レミを、ください・・・。

辰巳さんの感想だったのに、なぜかレミで終わってしまった(笑)

 

素晴らしい本でした。

ぜひ、読んでください。

 

 

辰巳芳子「食に生きて」前編

 

食に生きて:私が大切に思うこと

食に生きて:私が大切に思うこと

 

 

図書館で借りたこの本。

とても素晴らしかった。

わたしの、独断と偏見による全日本人必読書シリーズに加えよう(笑)

辰巳芳子さんが、ご自身の人生を振り返りながら、生きることと食べることにつて書かれたエッセイ。

 

辰巳さんがどんな方なのかよくわからないまま「大物」の雰囲気を感じて本を2冊ほど読んだ。NHKきょうの料理に出ているのを一度拝見した。

そのたたずまいの「厳しさ」に、テレビ越しでも心がびくっとなった。

正直少し怖かった。

彼女は覚悟を決めたひとだと一目でわかった。

食べることについて、生きることについて、命を懸けて本気で取り組んでいらっしゃる姿勢がビシビシと伝わってきた。全身が「わたしは本気です!!」と言っているような本気を感じた。

 

ゆるっとだらっと適当なわたしのへなちょこ精神など、一瞬で打ち砕かれてしまうくらいに、圧倒的な存在感。

 

本を読んで納得。

「わたしには侍の血が入っているの」とおっしゃる。

なるほどなるほど。

 

本の内容を紹介。

まずは、よだれがたれそうにおいしそうな料理の描写から。

 

P17~18

大根の葉っぱの一番外側のごわごわして硬いところを低温で素揚げにする。脱水させるように揚げて、からっとしたところで荒く砕いて、大根おろしをさっくり混ぜてお酢と柚子を振って、ちょっとお醤油たらして混ぜくって頂くのよ。これは結構美味しいと私が保証します。

 

お、おいしそう・・・。

そんでもって、なんつう文章の上手さ!

 

本書では、辰巳さんのお父上、お母上からそのもっと前のご先祖様まで紹介されていて興味深いのだが、やはり明治に生まれの日本人と、現代の日本人ではもうまったく別の人種だと感じる。なんていうか、腹の据わり方がちがう。生き様が見事。

 

とくに辰巳家の由緒正しさときたらすごい。安土桃山時代の武将、前田利家の側近15人衆の一人が辰巳家のご先祖様である。さらに辰巳さんの祖父、辰巳一は、明治初期にフランス留学を果たし、やがて近代造船学における日本人最初の先端技術者となった方だという。文明開化の頃の日本人にとっての先端技術というのは、「造船」技術を指したそうだ。諸外国の圧力から自国を守ることのできる、強力な“軍艦”を造る技術。

 

辰巳一は、コンピューターのない時代に日清戦争で活躍することになる軍艦「松島」「厳島」「橋立」の設計仕様書を1年で書き上げるという人間技とは思えぬ偉業を遂げている。そして、亡くなり方がまた見事だ。

お世話になった人を臨終の場に招いて、グラスと白ワインを家の者に持ってこさせ、そのグラスでワインをふるまって乾杯した。という洒落た演出。並みの人間にはできない。

 

辰巳さんの父「芳雄」がモットーにしていたという「人生は簡潔に」という不動の信条というのもかっこいい。お父上は、この信条を守り、相手がどんなに偉い人であれ、まったく無名の一介の現場の労働者であれ、つねに同じ正義と平等の精神で接していた。と娘である芳子さんが振り返る。なんて立派なんだ!!

 

辰巳さんご自身の性格で驚くのは、誰に対しても、どんな場面でも「相手の前でたじろぐ経験が全然ない」し、「絶対に上がらない」とおっしゃっていること。それをご本人は、侍の家の「血の力」だと感じる、と言っている。

 

この本に書かれいてる中でどうしても紹介したいのは、芳子さんの戦争体験。

結婚式を挙げてから一週間で兵隊に行った旦那様、藤野義太郎さんのお話。

以下引用 P71~74

 

 もう昭和19年の6月、敗色濃厚なときだからちゃんとした背嚢さえもなく、ネットの袋みたいなものを背負って、剣もないから牛蒡みたいな木の棒携げて、ゲートルは巻いてたけど履いていたのは地下足袋よ、正規の軍靴ではなく。

 みんな見るからにしおしおとしてたのを私は覚えてる。父がシナ事変で出征したときには、兵隊さんはみんな上にのけぞるくらいの元気だったのね。まわりも旗を立てたり、万才万才したりして。でも、この日はだれもがしおしおとしていた。あんな隊列なんて、それまで見たこともない。この戦争は違うんだって思った。

 空襲が始まったその頃、藤野義太郎は三隻の輸送船の一つに乗り組んでフィリピンに向かった。行く途中に二隻沈んだ。一隻だけたどり着いて、不思議なことに手紙が届いたんですよ。フィリピンだって書いてあった。よく葉書が届いたと思う。

 一隻に鮨詰めで3800人の部隊が一か月ぐらいかかってフィリピンに着いた。島から島へ移動する途中で空襲に遭った。本人は学生時代に射撃をやっていたの。それで、ただの鉄砲じゃなくて機関銃をやれといわれていた。甲板に据え付けられた機関銃のところへ行って敵の飛行機を撃とうとした瞬間、頭を銃撃されて、遺体も痒いもなくパッと死んだの。

 その空襲で助かった人たちはなんとか船から陸地へと揚がったけれど、結局ほとんど全員餓死した。3800人のうち8人だけ生きて帰ってきた。その一人が報告に来てくれて、それを聞いたお舅さんから私は話を聞いた。

 

 こういう事実はいまだに明らかにされていないけれども、日本兵の実に75%は戦死というより餓死だった。

 私の主人が行くときには、すでに制海権もまったくなかった。海も空も守りようがない中を、まともな装備もないまま行って、まるでさらし者よね。その挙句に餓死ですよ。これが「英霊」の事実です。

 まさに拙劣というしかない作戦ですね。

 で、私がこれを是非書いていただきたいと思っているのは、たとえ現政府がそういう拙劣きわまる作戦で兵士の75%を飢え死にさせたのじゃなくても、同じ日本の政府として責任を受け継いでいる以上は、いつの段階かでその家族に詫びなければならない、ということです。

 飢え死にで、息子を失った親、飢え死にで夫を失った妻、そういうことで父を亡くして苦労の道を強いられた子供たち・・・そういう日本の国民のために、日本政府はいつか一度、はっきり謝らなければならない。

 ところが、敗戦後これだけの年月が経つのに、いまだかつてきちんと謝った政治家は一人もいない。そんなことだから、こういう情けない政治がずっと続いているんだと思う。

 その昔ね、殿様が一番に最大の仕事としていたのは「領民をいかに食べさせるか」ということだったんでしょう?それがいま、日本の政治家に「国民の食をどのように守るか」ということを真剣に考えている人がいるだろうか。だれもいない。だから日本の食糧自給率は40%にまで下がってしまって、それが全然上がる気配がない。

 

P78

戦死というものはあらゆる死の中でもっとも不自然な死

 

                引用終了

 

びっくりするくらいに長くなってしまったので次に続く・・・

 

 

 

 

 

 

サンキャッチャー

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昨日は甥っ子の誕生日祝いがてら、弟家族と母と出かけてきた。

そうしたら、義理の妹ちゃんが気を遣って、とっくに過ぎてるわたしの誕生日プレゼントを用意してくれていた!

 

いい年してすみません(笑)

ありがとう。

うれしいな。

ラブラドライトのサンキャッチャー。

しんどいこと、つらいこともあるけど、うれしいこと、有り難いこともたくさんある。

ちゃんと、心も目も開いて、真ん中の気持ちを大事にしないといけないな。

そんなことを感じさせてくれた、虹色の光のプレゼントだった。大事にするからね。

ありがとう。

 

核のない国に住みたいね

もう書かないって言ったのに書いちゃうわ。

麻生太郎副総理が、自民党議員パーティーで選挙での圧勝について、「明らかに北朝鮮のおかげ」と言ったそうな。反発が広がっても、あくまでジョークで押し通すつもりらしい。

 

でも、圧勝したんですもんね。

やりたい放題やれるよね。

なんて、言われようと。

 

日本が国連総会に提出した核兵器廃絶決議案にも各国から不満が続出しているという。

 

世界で唯一の被爆国なのに。

原爆を落とした国の核の傘を支持し続ける悲しい国だ。人間の尊厳を奪われ、無残な死に方を強いられた方たちはどんなにか無念だろか。

 

昨日借りた本にはたまたま二冊とも、戦争体験が綴られていた。戦争体験者は、あと10年もしないうちにいなくなってしまう。そして、戦争を知り、心を傷め続けて慰霊を行われた天皇陛下もじき退位される。

 

わたしたちの住む世界は、大きく変わるだろう。なにを道しるべにすればいいのかな。

無力すぎて、ぽかんとしてしまう。

戦争、反対。

蚊の鳴くようなちっぽけなこえは、どこにも届かないのかな。

 

わたしは、戦争反対です。

20年後の日本は、どうなっているんでしょうね。

おーなり由子「365日スプーン」

 

365日のスプーン

365日のスプーン

 

 生まれ変わったらなりたい人。

おーなり由子さん。

彼女の紡ぐやさしい絵や言葉が大好きだ。

おだやかで、ゆったりとして、憧れる。

ガサツで、短気で、不安定な自分との対比がすごい。だから、たまに癒されに行く。

彼女のやさしくて、あたたかな世界の中に。

 

365日スプーンのはじめに、に書いてある言葉。

 

まいにち、まいにち。

スプーンひとさじぶんの、うれしい計画。

スプーンひとさじぶんの、魔法をかける。

かなしみも愛せるような

ひとさじの幸福なことばをーーー。

 

365日の、今日をえらんで。

365日の、好きな日をのぞいて。

365日の中の、偶然ひらいたページ。

365日、どこからでも、お読みください。

 

やわらかな言葉の響き。

おおらかで、穏やかな人になりたいな。

もう疲れた。

攻撃的で、感情的な自分の心に。

 

以下、今日のひとさじをお借りします。

 

10月26日

 

たそがれどきに

好きな人と

銀色のすすき野原のなかをあるく。

 

ゆうがたのひかりで

銀色から金色に変わる野原。

 

波打つ金色の海を、泳ぐようにあるく。

ゆらぐ底にもぐって

キスをする。

 

✢✢✢おまけ✢✢✢

 

10月31日の言葉がとてもよかったので、おまけ。

 

10月31日

 

たいくつな理屈は

もうたくさん。

 

いのちみじかし。

 

かろやかに、好きな場所へ。

 

プリズム!!


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もう、政治の話をするのはやめる。

無力感がすごすぎて、気持ちが持ってかれてしまう。テレビもあんまり見ないことにする。

 

自分の内側からやることにする。

アプローチの仕方を変えてみる。

 

台風一過の青空が気持ちよかった。

たまりにたまった本を整理する。

全然終わらなくて、夕方16時。

突然部屋にプリズムが表れた!

びっくりした。

魔法かと思った。

 

サプライズ!

うれしい。


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光に反射する蜘蛛の巣

ただなんとなく、写真を載せたくなったから載せます。9月はきれいな山の景色を見られて幸せだった。10月は雨ばっかりだね。

水の心配がないのは有り難いけど。

台風の被害が最小限で済みますように。


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