2年くらい前に、自分の今いる世界がとても狭く、窮屈に思えて、ぜーんぜん職業も年齢も違う友達がほしいなって。
なんとなく漠然と思ってた時期があった。
それが、叶ってるじゃん!今!
って最近気付いた。
年も仕事も全然違う友達や知り合いが、よく考えたらできてるよ。それも何人か。うれしい。
すごい!知らぬ間に叶ったじゃん!
そう思って、改めて喜んでみたりしている(笑)
ひまだからさ、人生の軸とか価値観見つめ直そうと思って、落ち込んだり気を取り直したりしながら、あれこれ考えていて。
酒井日香さんが前に、「お葬式のとき参列者にどんな人だったと思われたいか、なんて言われたいか」そんな生き方をしなさい!とブログで書かれていたのを思い出した。
う~ん。
トイレでなんとなく思いついたのは、優しい人。でも、それだけじゃつまんないよね。
優しくて、面白い人!
これかな。今のところは。
面白い人!って思われたいみたい。わたし。
だって、つまらないのはイヤだもん。
死ぬときに光の存在に問われるのは、どれだけ愛したか、愛そうとしたか。
なんですって。前に、マリア先生が言ってました。結果じゃないんだって。
ピンとくる、何人かの方が書かれてるブログでも、ばななさんも言ってることで、強く共感するのが、結局人間、自分の中をきれいにするしか出来ないってこと。
それは、毎日の呼吸であり、食べ物であり、人への接し方であり、一つ一つの考え方や選択。そうじをすることも、含まれるらしい。
そうやって、見える世界をきれいにすることで、見えない世界も磨くんですって。その心がけを、神様は見ているらしい。なんて地味!
でも神社って、これでもか!ってくらいにシンプルで掃き清められている。それが真理を表すのかな。
わたしも、死ぬまでにいろんなもの手放して手放して、捨てられるだけ捨てて、どんどん軽くなって行きたい。
それで、あー、面白かった!!
元の世界に帰るのも楽しみ!
って思いながら死にたいな。
昔読んだ、アランの幸福論に、楽観主義者は意思の力でなるものだ!というような内容が書いてあって、けっ!!って思ってた。
幸せになる意思、幸せを選ぶ、と決める心の強さ。脳は、思考は、ほっとけば足りないものを探し続けるから通常運転が不幸にはまりやすいらしい。
あの頃、そんなのできないよ!って思ってたこと、今になってやってみようかな。って思えてきてる。設定を決める!
現実がどうであれ、まず自分の頭の中で、腹の中で設定を決めておく。っていうのは、やっぱり自分が生きたい人生を生きる上ではとても大切だと、気付いたからかもしれない。
手応え?できるかわからないけど、やってみよう!という気持ち。
例えば、どんなに小さいムカツクことがあっても、たとえ表向きだけでもいいから、お姑さんとうまくやる!とかね(笑)
予め決めておけば、ほんの少しだけでも、自分の生きたいような方向の人生に近付けるかな。うん、やってみるよ!
くじけたときは、今日のブログを読み返すぞ(笑)