「おばあさん」の書き出しはこんなふう。
p9
おばあさんには、ひとりの息子と、ふたりの娘があった。上の娘は、ウィーンの親類のところで長年暮らしていたが、そこから嫁に行き、そのあとには二番目の娘が行っていた。息子は職人だったが、やはりもう独立していて、ある都会の家に婿入りしていた。おばあさんは、シレジアとの境にある山村に住んでいた。小さな家に、ばあやのビイェトカと何不自由なく暮らしていたのだが、ビイェトカはおばあさんと同い年で、おばあさんの両親の時代から奉公していたのである。
おばあさんは、家の中でひとりさびしく暮らしていたのではなかった。村人たちは、おばあさんにとっては、みな兄弟姉妹だったし、おばあさんは村人たちにとっては、母親であり、相談相手なのだった。村では、洗礼をするにしても、婚礼をするにしても、葬式をするにしても、おばあさんはなくてはならない人なのだった。
・・・・・・・引用終了
そんなおばあさんのところへ、ある日上の娘であるテレスカから手紙が届きます。
手紙には、テレスカの夫が今度公爵夫人に仕えるようになった旨、そしてその公爵夫人が、おばあさんの住んでいるところからほんの数マイルしか離れていないところに大きな領地を持っており、娘夫婦は今度その領地に一家をあげて移ることになったので、おばあさんもそこに一緒に永住してくれないか。とのお願いが書いてありました。
おばあさんは、迷った末このお願いを承諾し、泣きながら村を出て、新しい家である「スタレー・ビイェリドロ」にやってきます。
「スタレー・ビイェリドロ」とは、おばあさんの上の娘であるプロシュコヴァー夫人が、こんど住居にあてがわれた美しい谷間の中の一軒家の名である。
その一軒家に住む4人の孫たち。
男の子ふたり「ヤン」と「ヴィリーム」
そして女の子ふたり「バルンカ」と「アデルカ」
との交流を軸に、近所の人たちとのあたたかいふれあいや、季節季節の行事の様子が生き生きと描かれていく。
この物語はとにかく訳が素晴らしい。
自然で、躍動感にあふれ、わかりやすく書かれた文章が美しく親しみやすいため、普段読むことのあまりないチェコの作者が書いた文章を、とても近しく愛情を持って読み進めることができる。とっくに亡くなられているとは思いますが、訳者の「栗栖 継」さんに心から敬愛の意を記したいと思います。
栗栖さんがはしがきで書かれている文章が、もっともこの物語を端的に説明していると思うので、抜粋しますね。
p3
「おばあさん」は、19世紀のチェコの有名な婦人作家で、民族・社会解放運動の先駆者でもあったボジェナ・ニェムツォヴァー(1820ー1862)の代表的な長編で、チェコ人なら誰一人読まぬものはない、とまで言われている国民文学的作品である。
・・・・・・抜粋終了
さてさて、感想行きますか。
いやぁ~、かなり読み終えるまで時間がかかってしまった。
ほかの本読んだり、電車で気が向いたときにちびりちびり読んでたもんで、なかなか集中して読む時間がとれず、今日こそ読み終える!!と決心してさっき昼寝返上でがんばって読み終えました。
とてもとてもよかった。
こんなに健全で、心があたたかくなるお話は久しぶり。
理想の人間の生き様って、こんなふうに生きて、こんなふうに死ぬことだな。と心から思います。終わり方がまた秀逸でした。
作者がこの物語を書き上げたのは1854年。
あまり結婚生活は幸せではなく、この本が出版されてからも、パンが買えないほど生活に困窮していたという苦労の多い女性です。そんな極貧の、苦しい生活の中で、彼女が思い出したのが、やさしくあたたかく、懐かしい自分の「おばあさん」のことだったと言います。
本を書きながら、その思い出の中にいるときだけ癒された、というだけあって、物語の中には暗さは微塵も感じられません。
こんなおばあさん、いたらどんなにいいだろう。
この物語の中には、飛行機も、汽車も、車も、もちろんパソコンも電話も出てこないけれど、なんて豊かな生活なんだろうか。と感じます。
人と人が自然と、あたたかくつながり、季節の行事をみんなで楽しむ。
誰かのために祈り、だれかのやさしさに感謝して、それがあたたかく輪になってつながっていくような、おばあさんのまわりの雰囲気に、ひざまづいて泣き出したいような気持ちになる。それくらい、現代のわたしたちの生活とはかけ離れたおとぎ話に思えるが、こんな時代が150年ちょっと前までは確かにあったのだな。ということが不思議でなんだか感動する。
こんなふうに良質で素朴なお話は、今の時代にはもう決して出てこないだろう。
なのに、こんなにも時を経てわたしのもとに来てくれたことに感謝したい。
折りに触れ、読み返したい素晴らしい本に出会えた。
おばあさんは、やさしく、思慮深く、信心深く、それでいてユーモアもあり、いつもみんなを見守り助けている。誰もがおばあさんを愛し、おばあさんも家族であろうと友人であろうと分け隔てなく愛情を注いでいる。「ただひたすらに与える人」というのは世の中に確かにいて、そういう人は、地上に神様が遣わした天使なのだろうな。と思うのだが、きっと、おばあさんもそんな天使の一人なのだろう。
わたしは、公爵夫人令嬢とおばあさんの交流がとても好きです。
あと、この時代のチェコの様々な民族的な風習がとても事細かく書かれていて楽しく読めました。異国の風習はとても魅力的だ。
最後に春にぴったりの美しい文章を文中から引用して感想を終わります。
全然古さを感じない、すぐそこにおばあさんたちの暮らしが感じられるようなこのお話をぜひ多くの人に読んでほしいと思います。
p284
春は早足でやって来ていた。人びとはもう畑で働いていたし、斜面の上の方ではトカゲやヘビが日向ぼっこをしていた。それで子どもたちは、スミレやスズランの花を摘みに館の下の岡に行く時、いつもびくびくだった。しかしおばあさんは、聖イージーの日(4月24日)までは毒のある生き物はいないから心配しなくてもよく、手にとっても大丈夫だ、と言った。「でも、お日さまが空高くなるころになると、生き物には毒ができるのだよ」と、おばあさんはつけ加えて言った。水門の向うの草原にはエンコウソウ、キンポウゲの花が咲き、斜面ではアネモネが青い花を見せ、サクラソウが金色に光っていた。子どもたちはスープに入れる若草を摘み、イラクサをガチョウの雛たちに採って来てやった。おばあさんは牛小屋にいくと、まだら色の牛にもうすぐ草をたべに牧場へ行くことになるからね、と言って希望を持たせるのだった。
・・・・・・引用終了